2026年7月の記事一覧
生徒会誌「みのやま」掲載の進路情報
| ファイナルイヤー60年目。60周年及び統合という記念に制作した60周年記念誌「60年のあゆみ」(箱付き、ハードカバーで180頁+巻頭カラーグラビア24頁)。この記念誌編集、60年間を振り返るにあたり生徒会誌「みのやま」も全号確認しました。年代によって雰囲気の違いを感じながらの確認でした。 |
令和7年度のある日、アンカーズ生徒の1人から質問がありました。
「皆野高校の先輩方は、過去どんな大学に進学しているのですか?」
この質問に、なるべく正しくこたえようと生徒会誌「みのやま」に記載されている卒業生の進路状況コーナーを確認しました。
残念ながら、19期生が3年生であった昭和62年3月以前に発行された生徒会誌には進路について記載されているページはありませんでした。その後でも記載されていない年度がありました。
「皆野高校の先輩方は、過去どんな大学に進学しているのですか?」
記載されている大学をピックアップしました。漏れはあるかもしれません。先生方から記載されていない大学へ進学した生徒もいるという情報の元で追加もして一覧表を制作しました。この大学情報は、最後の文化祭でも校内放送を使って流しています。
改めて公開します(50音順に並びなおしています)。
下記掲載一覧表はPDFでダウンロードも可能です。
皆野高校4年制大学進学一覧.pdf
なお、この質問してきた生徒の進路先は・・・。
4年制大学への進学希望です。
本校には、ビジネス系を中心に幅広く学校推薦による大学進学への道はあります。しかし、この生徒は推薦でなく一般受験を希望し、猛烈に受験勉強へ取り組みました。志望校も上記に含まれていない大学です。
結果は「桜散る」でした。
過去、一般受験に挑戦して大学進学を目指した生徒は何人くらいいたのでしょうか。詳細は分かりませんが、アンカーズには受験により大学進学を目指す生徒がいました。現在、進学準備として俗にいう浪人して来年度の入学を目指し、受験勉強の日々を送っているかと思います。
生徒会誌「みのやま」最終号の発行
皆野高校生徒会誌「みのやま」。
昭和46年3月発行の創刊号から始まり、ファイナルイヤー昨年度の令和8年3月に第56号の最終号を発行することができました。
2月15日に書き込まさせていただいた、平成19年度(20年3月発行)第38号についてお願い していましたが、無事に全号が揃いました。
最終号の内容は、生徒に関わるものや生徒全員からのコメント、加えて先生方全員からのコメント、卒業生の在籍教員の思い出話しなど、最後の生徒会誌の内容も充実したものになりました。関係の生徒・教職員の皆さま、編集・発行等たいへんお疲れさまでした。
なお、皆野高校の生徒会誌「みのやま」は、創立5年目の昭和45年度に創刊号が発行されましたが、それ以前、秩父東高校皆野分校時代にも東高校本校生徒と皆野分校生徒で生徒会誌を制作・発行しています。
秩父東高校生徒会誌名は「凌雲」。創刊は、東高校創立3年目、皆野分校2年目となる昭和42年度です。なんと、この編集委員長は皆野分校の先輩が東高校の女子生徒からも推薦されて委員長となって活動に取り組んだ、ということです。翌43年度は東高校は県立高校となり、皆野分校は東高校から分離独立し、組合立皆野高校となったため皆野高校の生徒が「凌雲」の発行に関わったのは42年度の1年のみとなります。
秩父東高校の生徒会誌の最後の発行は、東高校が秩父農工と統合する年の2年前、3学年が揃っている年が最終号となっています。よって、皆野高校の創立3年目・4年目は生徒会誌は発行されていません。創刊号には、独立し単独高としての生徒会も軌道に乗り念願の生徒会誌を発行できる機運が高まった、という趣旨で記載されています。
皆野高校のテレビ出演
特にファイナルイヤーの皆野高校は、メディアで多く取り扱っていただくなど注目度は他校の先生方からも話題にしていただいています。
昨日、一昨日と掲載した全国ロードショーの映画に、皆野高校をロケ地として丸2日間、収録地の一つとなり公開された映画を筆頭に、テレビ取材なども多く受けさせていただきました。
テレビで取り上げていただいた放送で当HPに過去掲載したページ等へリンクします。ご覧ください。
令和5年度
◎6月23日(日)日本テレビ日曜・昼12時45分~2時までのトークバラエティ番組
「超無敵クラス」(現在は番組終了)30分特集番組出演
令和7年度
◎4月27日(日)テレ玉・ウイークエンドニュース
おかえりなさい!皆高生8,250名~今から始まるファイナルイヤー~
最後の年の最初のイベント
この取組にテレ玉はじめ7社の取材が入りました (リンク先ページの後半に掲載)。
これらの報道がさらなる取材を生んでいくこととなります。
◎5月14日(水)テレ玉・マチコミ
高校生応援企画『♯アオハルのむこうがわ』
特集番組「皆高発→秩鉄行 青春ポスタープロジェクト」(リンク)
◎5月26日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
1回目の放送 地域連携に取り組む(TikTokへリンク)
◎5月30日(金)テレ玉・ニュース1155
テレ玉・ニュース530
テレ玉・ニュース930
「最後の体育祭」地域と連携した
◎6月16日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
2回目の放送 最後の体育祭(TikTokへリンク)
◎8月25日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
3回目の放送 秩父音頭まつり(TikTokへリンク)
◎11月10日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
4回目の放送 文化祭(TikTokへリンク)
◎11月24日(月・祝)テレ玉・ニュース530
テレ玉・ニュース930
SL皆高エクスプレスTHE FINAL運行
◎12月20日(土)日本テレビ「笑ってコラえて!」
超豪華人気者がいく!ダーツ祭り!
広瀬アリスが高校に突撃。校内放送!?高校生の恋の悩みに向き合う!
◎2月17日(火)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
5回目の放送 大掃除(TikTokへリンク)
◎3月5日(木)フジテレビ「ミュージックジェネレーション」
予告(3/4書込) と 当日放送の様子(5/24書込)
GENERATIONS from EXILE TRIBEメンバー 小森 隼さん2日間来校し収録
◎3月16日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
6回目の放送 最後の卒業式(TikTokへリンク)
◎3月18日(水)テレ玉・マチコミ 特集番組
「ありがとう学び舎・閉校舎イベント」
◎3月18日(水)NHK首都圏ニュース
最後の卒業式 1回目
◎3月26日(木)NHKおはよう日本(全国放送)
最後の卒業式 2回目
◎3月27日(金)NHKチコちゃんに叱られる
人はなぜ合唱するのか(・・・こちらからも)
◎3月31日(火)NHKおはよう首都圏
最後の卒業式 3回目
この他にも大手テレビ、キー局から3つの番組で取材や特集番組の問い合わせが入っていました。実際にディレクターさんが何度か皆野高校に来校し生徒と打ち合わせまで実施したものもあります。残念ながら実現までこぎつけられませんでしたが、皆野高校の取組に対して注目いただき、結果として取材申し込みや取材問い合わせを多数いただいたことに感謝です。
テレビ、新聞、ラジオ、ネット(ニュース、インスタ、YouTube、TikTok、X、FBなど)でファイナル皆高を取り上げていただきました。生徒たちも、皆野町を歩いていると「おっ! 〇〇君、テレビで見たよ」とか「頑張れ!」などと声をかけていただいたと学校で報告してくれました。
映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」ご存じでしょうか!(2)
吉永小百合さん主演、令和7年10月31日公開映画、
「てっぺんの向こうにあなたがいる」
この映画の収録地に皆野高校が選ばれたのはご存じでしょうか!?
昨日に引き続いて掲載します。
ロケ1日目の様子 (昨日のリンクと同じものです)
ロケ地として選んでいただき、その後何度も担当の方とのメール連絡、校内視察、打ち合わせなどに来校され、教頭が対応させていただきました。
ロケ場所も、正門前の坂をバイクで登ってきて正門を入り玄関前でバイクを降りるシーンでは、正門の校名板も福島県立〇〇高校と上から付けたりと様々な細かい設営がされていました。
校長室のシーンでは、部屋の備品類もほぼ搬出し模様替えして校長机の位置も変更。俳優さんの校長先生も登場して撮影。ここも大掛かりでした。教室のシーンは予告編動画にも入っていました。トイレでも撮影。皆野高校以外でも町内で撮影があったようです。
映画のエンドロールでも、
「ロケ地」埼玉県立皆野高等学校
という記載を見ることができます。
劇場用パンフレットにも記載されています。
【右側の白本、参考にいただいた台本です。】
予告編の動画から抜粋画像。
この、キノフィルムズのWebページ予告編から下記を見られます。
【正門入って玄関前のシーン】
【教室でのシーン】
この映画のロケ地として契約を結ぶときに、映画公開後に最後の皆野高校卒業生へ、この映画を鑑賞させてほしいというお願いをしていました。
このお願いが令和8年1月30日、学年末考査最終日の午後に鑑賞会を実施することができました。
映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」ご存じでしょうか!(1)
吉永小百合さん主演、令和7年10月31日全国公開映画
「てっぺんの向こうにあなたがいる」
この映画の収録地に皆野高校が選ばれたのはご存じでしょうか!?
昨年10月、全国の映画館で一斉公開され、ユナイテッド・シネマ ウニクス秩父、熊谷・上里・入間など県内でも多くの映画館で鑑賞することができました。ご覧になられたでしょうか。ロケ地として、埼玉県内でも日高市の日和田山をはじめ多くの場所でロケが行われた映画です。世界レベルの映画祭でも上映され賞も受賞しています。
映画製作・配給会社は木下グループ、キノフィルムズです。皆野高校でロケが行われ、この様子についてホームページへの公開許可が、なかなか出なかったのですが、公開日2週間前に許可され当HPで公開 することができました。令和6年8月と9月の2日間に渡る大掛かりなロケでした。
最後、新宿での映画館で公開が終了し、DVDの販売も5月20日から開始されていますので、この皆野高校チョコット映画出演について掲載します。
最後の映画館上映情報
映画.com へリンク
学校の玄関には映画の大判ポスターを閉校舎まで掲示していました。
なぜ、ロケ地になったのか!?
令和6年度当初、映画のロケ地として皆野高校を使わさせてほしい、との電話連絡。来校していただき説明を受けました。映画の詳細内容の説明はありませんでしたが、ノンフィクション映画であり実話に基づく映画で実際は福島県の高校が登場しますが、福島までロケに行くのは厳しいので、似た立地の高校を探しているとのこと。その高校は山の小高い丘の上に立つ高校。皆野高校のような高校であり、やっとの事で探すことができた、とのことでした。過去、映画の収録に使われたことなどないと思われます。ぜひ、使ってください、と言いたいところでしたが簡単に貸すというわけにはいきませんでした。県の施設であり、使用料をいただかなければならず、どこの場所で撮影し、スタッフは何人で、演者さんとの関係、使用料の計算方法を模索しましたが学校としても経験がなく複雑な内容、事務室も人数が少なく閉校舎に向けての業務などとも重なるため、厳しいという事となりました。それでも映画などのロケ地となっている県立高校にアドバイス・レクチャーいただき、使用料等の計算も可能いう事になりました。一度はお断りしていましたが、映画会社からも他には該当する高校が見つからないということで再度の依頼も来ていました。このような経過で、ロケ地として引き受けることとなりました。映画会社からは「ネタ晴れ」は絶対避けなければならないとのことで強く協力を求められました。本校からも条件を提示してロケ地としての契約を完了しました。
その上で、ロケ日、ロケ場所、俳優さんである演者さん、台本などを提供してもらい説明を受けてロケ日を迎えました。
(つづく)
本日、あめ薬師縁日
秩父札所十三番・慈眼寺で毎年7月8日「あめ薬師縁日」が毎年開催されます。眼病平癒にご利益がある薬師如来を祀り、名物「ぶっかき飴」、周辺の東町通りに多くの露店が立ち並び夜まで賑わう縁日です。雨の降らない「あめ薬師」になりそうですね!
毎年、あめ薬師縁日で秩父地域振興センター主催「青少年非行防止キャンペーン」が実施されます。本日も午後、秩父地域の高校生や警察官、各市町村の教育委員会などの多くの団体の方々が、13番の周辺で青少年非行防止の呼びかけに参加されることと思います。
昨年度の皆野高校ホームページの書き込み
【昨年参加したアンカーズ】
追伸(R8.7.10)
あめ薬師で高校生が配布した啓発用品を家族がいただいてきました。
皆さん、頑張っていたとのことでした!
第3回皆野町歌声サロン 開催決定!
昨年度より皆野町社協と皆野高校の協力で始まった「皆野町歌声サロン」が、今年も開催することが決まりました!
皆野町役場の佐々木さんはもちろん、皆野高校の旧職員・卒業生も参加予定です。歌うことによる”健康作り”はもちろん、音楽を通じて人と人との”繋がり”をとても感じることができるイベントです。
昨年度に行われた第1回「初めての歌声サロン」、第2回「お別れの曲特集」どちらもとても心温まる歌声サロンとなり、大盛況でした。(第1回、第2回の様子は#生徒会のページから⇒こちら)
皆野高校が統合した、今回の第3回。どのような歌声サロンになるのか!ぜひ町民のみなさま、関係者のみなさま、8月27日(木)は皆野町総合センターへ!お会いできるのを楽しみにしています。
※申し込み受付は8月の社協便り配布後から開始します。詳しい日にちは後日お知らせします。⇒8月3日受付開始予定です。
交通安全こども自転車大会
小学生の時、学校の校庭にお巡りさんが来てラインを引き、模擬道路や模擬横断歩道を書いて携帯信号機を持ち込んで自転車の乗り方の指導を受けた50年以上前の記憶があります。 これが自転車大会の練習だったのかもしれません。
今、秩父第一小学校の代表児童の自転車が凄いのです。
皆野高校生徒が昨年、秩父第一小学校へ自転車の挑戦に行きました。
全国大会2連覇を成し遂げ、今年度も社会貢献などでも注目が凄かったのです。皆野高校を追いかけてくるように!?
NHKからも取材を受け!
昨年、皆野高校が取り組んだ「春の全国交通安全運動」、今年は第一小学校が!
さらには全日本交通安全協会から取材を受け4ページにわたり掲載!
そして今年度も、第58回 交通安全こども自転車埼玉県大会が開催されました。3連覇を目指して!
そして見事、県大会3連覇したと7月4日(土)大会当日に嬉しい連絡が入り写真も送られてきました。児童の皆さんおめでとうございます。
チーム監督の岩田先生は皆野高校の旧職員です。コーチとして指導にあたった秩父警察署のお巡りさん、何度も皆野高校へ来ていただき交通安全指導だけでなく最後の文化祭にもブース出展もしていただいた方々です。交通安全ををはじめ様々な地域連携・地域貢献などを、さらに多くの学校で取り組んでいただくことを願っています。
来月の全国大会でも3連覇を目指し、練習の成果を発揮して来てください。
ガンバレ埼玉県代表・秩父第一小学校!
皆野高校PTA・後援会(設立経緯)
昨日掲載したように、皆野高校PTA・後援会は令和8年3月7日(土)開催の臨時総会での決定により、その役目を終了しました。
この臨時総会冒頭で、A4版1枚両面刷り(2,692文字)の文書を配付しました。それは皆野高校・・・分校時代からのPTA・後援会の活動記録「皆野高校 PTA・後援会の設立経緯」と題した文書です。
秩父東高校の分校時代から皆野高校設立に向けた、今では考えにくい程の激しいPTA・後援会による活動があり、秩父地域の1市4町5ケ村による組合立高校として開校・独立・県立となることができた、という記録を改めて記憶してもらい解散の決議をお願いしました。
【長文になりますが配付文書の内容、一部修正しています】
令和 8年 3月 7日 PTA・後援会臨時総会
皆野高校 PTA・後援会の設立経緯
昭和41年度より 分校として開校当初から東高校本校とともに活動開始
昭和41年度 昭和41年度開校。PTAは本校・分校の保護者が一丸となり第2代会長赤岩頼道氏を中心に組織を整備して大活動が始まった。当時の PTA活動の大目的は県立高校2校同時新設、即ち県立秩父東高校、県立皆野高校設置への運動である。秩父東高校PTAとして各地区に支部を設け、多数の役員をおき、毎週役員会を開き、支部会も頻繁に開かれた。秩父市に対しては校舎の増築・校地拡張の促進、皆野町には皆野高校校地の買収を要請し折衝を重ねた。ハガキによる陳情作戦や街頭署名運動も行い、署名を持ってバス3台を連ねて秩父郡市の首長と同道して埼玉県議会に対して県立2校の新設を請願した。さらに各地の県議会議員宅を訪問、県教育委員会にも陳情を繰り返し、全県下を飛びまわるなど極めて活発な活動を展開した。秩父郡市だけが飛びはなれて全日制高校の開門率が低い。そのため ①秩父の子供が高校教育の機会にめぐまれず、教育の機会均等の立場から非常なる差別を受けている ②秩父の市町村は高校進学への地区民の要望により乏しい財政にもかかわらず多大な財政を負担して組合を設置し、全日制秩父東高校を開設、県が行うべき高校教育を自ら行っており、そのため市町村財政の破綻さえ招きかねない状況であるということ、これらはまさに公平を欠く県政の所業であると訴えた。
昭和42年度 昭和42年に入り、秩父郡市の中学校PTA連合会にも呼び掛けて、この運動は秩父の子供たちのためのものであって、単に秩父東高校の県立移管運動ではないことを説いて、共に子供のために立ち上がることを求めたが理解を得られず、秩父東高校PTA単独で運動した。
県議会文教委員からは、2校同時の県立移管は県下の情勢からして無理であると指摘されており、仮に秩父東高校だけが県立移管した場合、県立の全日制高校では分校制度は教育委員会として認めていない。これ等の状況下で、皆野町では設楽町長を始め町議会や町の有識者の間で、一貫して皆野高校新設、秩父東高校からの分離独立、県立移管を想定し推進していた。
昭和42年夏、PTAは最後の決意を固め10月開催の埼玉国体開会式の会場において、次いで秩父の国体会場において陳情の行動を行う計画を立てた。「運動の進め方」なる諸計画を印刷公表した。実際に、当時の東高校長室に数十枚もの「むしろ旗」を運び込んで「むしろ旗」を立てるなどして天下に訴えようと計画し、国道299号を走る天皇陛下に訴える準備を進めていた。
国体開会式前々日、10月20日PTA役員20名で知事や教育委員長らと最終会見、秩父東高校を分離独立して秩父東高校及び皆野高校2校を43年3月中に県立とすることを求めた。議論の末「国体を平穏に開催させて欲しい、国体が終わったら処置の返答をする」との口約束を得た。むしろ旗による天皇陛下への訴えの計画は踏みとどまった。11月になり知事から「秩父郡市内に県立2校を同時に新設するのは県政全般から無理である。秩父東高校は43年3月に第1回卒業生が出る。皆野分校は44年3月でないと卒業生が出ない。まず秩父東高校を43年3月中に県立移管し、皆野分校は44年3月中に県立移管する。校地を早急に提供してもらいたい。なお、皆野分校は秩父東高校県立移管と同日、組合立皆野高校として独立する。これで我慢して欲しい」との案が示された。承認せざるを得ない案であった。皆野町でも止むを得ずこれを諒として期待を翌年につなぐこととし、差し当たって校地の選定を急務とすることとした。
独立校 皆野高等学校としてスタート(昭和43年3月30日)
昭和43年3月29日、秩父高等学校組合会議で埼玉県秩父東高等学校を廃止し、新たに埼玉県皆野高等学校設置の件が議決される。翌日3月30日、埼玉県立秩父東高等学校設置が公布され県立移管する。皆野分校は秩父東高校の県立移管と同日(3月30日)、組合立埼玉県皆野高等学校として校名を改称して分離独立、開校3年目の43年4月独立校としてスタートした。
組合立皆野高校として分離独立後の最初の入学生2クラス(3期生)、最終志願者数(昭和43年2月12日)は、男子商業科141名で入学試験を実施した(1.41倍)。3月に43年度入学許可候補者発表、男子商業科108名を入学許可候補者とした。
昭和43年度 4月1日秩父市外4町5ケ村組合立埼玉県皆野高等学校として発足。4月9日入学式男子108名(3期生)入学、2学級。初代校長は高田喜好校長(小鹿野高校教頭より)、教職員は20名。1年2クラス、2年3クラス、3年1クラス 全6学級、全校生徒309名の3学年揃ってスタート。草創期らしい変則的な編成である。
PTAは「秩父東・皆野高校PTA」と改称し、5月のPTA総会において皆野高校県立移管実行委員会を設置、皆野高校が県立移管するまで分校時代と同様に一緒に活動することとした。会長は赤岩頼道氏が留任、皆野高校からは多田守吉氏、杉浦武寿両氏が副会長となった。皆野高校県立移管実行委員会は、6月から12月まで会議が16回開催されている。PTA役員は、家業を投げうって連日運動を続け、この熱意が県にも例のない秩父東高校創立2年11ヶ月(昭和43年3月)で県立移管という偉業をなしとげたと言っても過言ではない。この後は皆野高校校地の獲得が主なる運動となり、地元皆野町長に早期校地の設定を訴えていく。後援会もPTAと同じ組織で発足している。
組合立皆野高等学校から県立皆野高等学校 (昭和43年度末~)
昭和44年3月30日、県議会に於いて組合立皆野高校の県立移管が議決。秩父市ほか4町5ケ村立秩父高等学校組合会議により埼玉県皆野高等学校廃止、3月31日埼玉県立皆野高等学校設置。ここに組合立高校が地元の根強い県立移管運動の結果、待望の県立移管となり同日、延ばしていた第1回卒業式が挙行され、卒業生全日制男子商業科47名、木造の講堂で質素ではあるが感動的な卒業式を挙行した。
PTA・後援会も秩父東高校と分離。
昭和44年度 5月8日に設立総会を開き規約を定め「皆野高校PTA・後援会」が発足した。PTA会長に多田守吉氏、後援会長には皆野町長設楽徳之氏を選出。しかし、一本立ちしたPTA・後援会を待っていたのは苦しい財政問題であった。
その後は、数々の困難を乗り越え皆野高校の発展充実のためにPTA・後援会の存在は、学校運営の大きな支援となった。
PTA活動60年間、後援会活動58年間、令和5~7年度最後の横田昌弘PTA会長(第42代)、田島晴子後援会長(第16代)まで精力的に活動を続けた。
最後のPTA・後援会研修バス旅行(令和5年度)
令和5年11月18日 掘削中の大滝トンネル 及び山梨方面へ
皆野高校のPTA・後援会(最後のPTAだより「さえずり」発行)
皆野高校の同窓会は再結成し、その活動を継続していきます。
PTA・後援会は閉校舎により、その役目を終えて活動を終了し令和8年3月7日(土)卒業式終了後、総合実践室で臨時総会を開催して解散しました。
それでも最後の年は、県の生徒指導委員会委員長校という大役を受けて、最後の最後まで埼玉県の代表校として活動を全うしました。
8ページの内容で作成「PTAだより」、年2回発行を継続して最後までPTA広報委員会の保護者の皆さまの尽力により、最終号(第106号)は最後の卒業式の日に発行・配付することができました。
特に、ここ数年の皆野高校PTA活動は積極的で、令和4年度には文部科学大臣表彰、6年度・7年度も関東PTA大会や全国PTA大会で個人表彰や団体表彰を受けています(掲載済み)。
最後のPTA会長・横田様、後援会長・田島様には2期に渡りカンバックしての会長職に携わっていただきました。横田様には、ご子息卒業後も、PTA会則を見直し会則変更により、皆野高校ファイナル・クローズの令和7年度の会長として多くの関係者と力を合わせてPTA・後援会を締めくくっていただきました。感謝です。本当にありがとうございました。
(明日、このPTA・後援会の発足当時の活動について触れます)