閉校舎となりましたが、まだまだ書込を継続中

2026年6月の記事一覧

思い出の場所3-1

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】

皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)

この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。

この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】

昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。

(つづく)

思い出の場所2

これは・・・
昇降口の下(脇)に、こんな建物があったのを知っていますか!? 物入れなどの倉庫ではありません。

これは平成15年度前後に建てられた建物です。
生徒には馴染みのない、一定の先生方などの思い出の場所かと!

写真奥に校門がチョコっと見えています。
この建物も解体されました。

想い出の場所

昨日「思い出の校舎」として掲載させていただきました。
先輩方の思い出を語りつくすことは不可能ですが、後半の卒業生にとって思い出の一つであろう昼食のパン販売について掲載します。

皆野高校生の昼食は・・・
購買部があった時代、食堂が営業していた時代、パン屋さんがパン販売に来ていた時代、弁当屋さんが弁当販売に来ていた時代などなど。


それらの中での思い出のお昼!
令和7年4月25日最後の年の最初のイベント、10月27日最後の秋桜祭などで出店要望があり「あのパンを販売してほしい」。この要望に卒業生でもあるパン屋さん「橋本パン」が販売に来校していただきました。懐かしがって食べていた方も多く、パンは両日とも完売となりました。

【R7.4.25、イベント時のパン販売(体育館)】

想い出の場所が解体
その場所は体育館入り口横にありました。

ここです! パン販売場所には時間になると生徒たちが群がっていました。

残念ながら、この場所も県が建てた建物ではないので解体しなくてはなりませんでした。


地面のコンクリートの色の違いがパン屋さんの足跡です。

みなさん、それぞれの思い出の場所は!?

令和7年4月25日(日)・令和7年10月27日(土)・令和8年3月7日(土)
 この3日間、皆野高校ファイナル三大ビッグイベントとして、他校では実施できないような行事を開催しました。多くの先輩方、旧職員、近隣の地域の皆さんにご協力いただき、ご来校いただきました。

他にも、
夏休みと冬休みの公開講座(令和7年度・14講座、延べ258名が来校)
「てっぺんの向こうにあなたがいる」吉永小百合主演映画、全国一斉公開日(令和7年10月31日)を受けて皆野高校地域関係者への公開鑑賞(令和8年1月30日)この映画と皆野高校との関係について後日掲載予定!
フジテレビ番組「ミュージックジェネレーション」の関係者公開収録(収録日:令和8年2月8日、放送日:3月5日)
などでも多くの方に来校していただきました。さらに、卒業生が個人的に学校訪問・見学 等の申込も多数あり、個々対応させていただくこともありました。

 皆野高校の統合が令和4年の夏に発表されてから約3年半。この残された期間で、高校時代の「思い出探し」をしていただけた先輩も多くいらっしゃったのではないかと思います。それでも「知らなかった」という方もいらっしゃいます。完璧な周知ができなくて申し訳ありませんでしたが、特に皆野高校は多くのマスコミ、新聞やテレビ、ネットでも取り上げていただくことができました。さらに、教職員等の関係者が地域イベントなどで精力的に発信の活動を行ってきました。周知できなかった先輩方には申し訳なく思います。

 皆野高校の歴史は統合という形で、新たな秩父高校となって引き継がれていきます。皆高ルーム(仮称)もしっかり整備したいと思います(令和8年度末までには)。今後、ご期待ください。連絡手段としては、同窓会LINEの継続使用、同窓会が4月から再結成となった「みなこう会」が今後作成予定のHPとなります。

思い出の校舎

皆野高校60年。高校3年間通った校舎。年代によって思い出の場所は様々かと思います。校舎も大渕の校舎は3代目です。

最初の1年間は現在の皆野町役場前、道を挟んだ役場駐車場内に校舎のあった秩父農工高校定時制皆野分校(石碑があります)を使用。1期生が1年間、教室を間借り。定時制生徒が登校する午後4時頃には下校しなければならなく、生徒会や部活動も思うように活動できなかったとのことです。【下記が初代校舎】

2年目の昭和42年度から45年8月までは、現在の皆野町役場の場所にあった旧皆野中学校。中学校が統合のために移転となり、旧校舎を皆野高校の校舎として使用。1年目の間借り状態から、鉄筋3階建て講堂もありグラウンドも広い自前校舎となり1期生は大喜び。1期生と2期生は大渕の校舎を知らずに卒業されていきました。【下記が2代目校舎】

皆野高校開校5年目、昭和45年8月に幾多の困難を乗り越えて、大渕へ新校舎が新築されました。最初は1棟のみ(下記写真の手前の枠が体育館代わりに使用した集会室の建築前)。3・4・5期生が、教職員、保護者や地域の方々の協力により引っ越して、グラウンド整備なども大変な思いをされて完成した新校舎です。最初は西側部分は階段までしかありませんでした。周りは山と畑のみです。

先輩方の思い出を語りつくすことはもちろん不可能です。
それでも、5期生の先輩が当時の皆野高校思い出の場所や行事写真を編集していただきました。バックミュージックを流しながら説明文入りのパワーポイントを作成していただき懐かしい動画を繰り返し文化祭時に教室で流して公開しました。後輩たちは感動感心しながら視聴させていただきました。(下記写真 R6.11.2撮影)

(テレビ画面には「熊谷方面からの通学風景」との記載あり)R6.11.2

なお、60周年記念式典(R7.10.25)60年のあゆみ実行委員会で製作し公開した動画。まだご覧になっていない方がいましたら下記からご覧ください。
皆野高校誕生物語(YouTube 10分11秒)

後半以降の先輩方が口々にされていた思い出の場所!?・・・、明日掲載予定です。

皆野高校・平成元年度入学生からの新制服

皆野高校創立24年目となる平成元年度入学生より新たなブレザー型制服となり、男子は赤のネクタイ、女子は緑のリボン、制服ボタン・エンブレムも新しいデザインのものとなりました。

【上記写真について】
 関東図書株式会社発行「埼玉県公立高校紹介」2021年度版・全418ページ中の14ページより制服写真を抜粋。
 その後も、2022年度版、2023年度版(最後の生徒募集の年度)までこの写真が掲載された(モデルは平成時代の卒業生、長期間に渡り使用した)。

 この制服変更は当時先進的な取組であった。この時代、多くの高校で生徒の服装違反、服装の乱れが目立っており、生徒指導の柱として服装指導に取り組んでいた。服装違反の原因として、戦前と変わらない男子の詰襟服、女子セーラー服という旧態依然の制服そのものにも原因があると考えた。
 そこで、①生徒が誇りを持って着られる制服、 ②ビジネスを学ぶ高校としてワープロやコンピュータなど事務機器の操作しやすい活動的な制服、③中学生にとっても魅力的であり憧れを抱くような制服、をつくりたいという意見が盛り上がり、昭和62年度2学期に制服検討委員会を設置、公聴会や生徒アンケートを実施し、生徒会や職員会議で検討。その結果、平成元年度入学生より他校に先駆けてブレザー型制服を採用した。生徒・教職員・地域からも大好評で、他高校からも注目された。
 平成元年度、情報処理科の誕生と合わせて近代的な制服採用は、皆野高校が地域に根ざした特色ある高等学校として、希望に満ちた一歩を強く踏み出す原動力となった。この年の入試倍率は、推薦入学・一般入学ともに極めて高く、在籍生徒数も700名を超えている。

新制服に使われた新たなデザインによる「エンブレム」と「ボタン」


男子・女子ともに制服生地やベスト、セーターなどはマイナーチェンジをしてきている。男子のベルト、女子のハイソックスも皆高エンブレムデザイン入りの指定のものでした。

皆野高校の校章(その11)皆野町内の学校校章

昨日・一昨日と、そもそも皆野高校校章の由来について掲載しました。
皆野町の町章と深い関係があるようです。

では、皆野町の他の学校の校章はどうなのか?
幼稚園1、小学校3、中学校1の計5校が存在しますので調べてみました(情報は、全てネット検索によります)。校名から各学校のHPへもリンクします。

皆野幼稚園(開園昭和48年、創立53年)

国神小学校
 開設は明治6年、金崎学校(長興寺)と大巻学校(薬王寺)から始まり153年目。平成14年度に日野沢小学校と、平成25年度に金沢小学校と統合し現在の国神小学校となりました。令和9年3月で閉校、4月から皆野小学校へ統合。
皆野中学校
 昭和38年度、皆野統合中学校設置(国神、日野沢、金沢中学校を統合)。暫定措置として国神中学校を本校、日野沢中学校及び金沢中学校を分教場。昭和39年度皆野、三沢中学校を統合、暫定措置として本校、皆野分教場、三沢分教場。昭和42年3月皆野分教場移転(←移転後の42年4月より45年8月まで皆野高校の校舎として使用した)。42年4月実質統合完了に伴い、校名を皆野中学校と改称、校章を定める。平成20年10月新校舎完成。皆野中学校HP 沿革へリンク。
 

 現在も皆野中学校内、1階職員室前で利用中の棚です。

 日付が書かれているのですが薄くて確認できません。
 大きく「皆野統合中学校 三沢分教場」と書かれています。 

 地域では、この当時は皆野中学校を「統合中学」と呼んでいたとのことです。
 

 
と、上記3校は町章及び皆野高校校章と同様に、3つの「ナ」の円を使用して図案化されています。

しかし、皆野小学校と三沢小学校の2校には町章のような3つの「ナ」は使われていませんでした。
皆野小学校(開校明治6年、創立153年)

三沢小学校(開校明治7年、設立152年)

三沢小学校の校章は、見ようによっては「ナ」にも見えますが。

 どの学校も伝統ある学校です。この各校の校章、3つの「ナ」について、さらに調べられたらと思います。

皆野高校は、町内のこの5校、さらに私立の明星保育園・国神保育園と様々な形で多くの連携・交流により充実した教育活動に取り組み、生徒たちを大きく成長させることができました。ありがとうございました。

(校章・完)

皆野高校の校章(その10)そもそもデザインは2

昨日掲載した、皆野町ホームページから抜粋した町の町章。
制定が昭和48年9月1日と記されているという件です。

早速ですが、解決しました。

検索結果、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「埼玉県の市町村章一覧」が掲載されていました(下記は一部抜粋画像です)。

 この情報によると、昭和48年9月1日というのは地方自治法に基づき町議会の議決により町章を決定・告示した日ということです。実際には昭和40年5月2日に制定され使用されていたとの記載です。
皆野町の町章は皆野高校開校1年前の制定。皆野高校開校と何か関係があったのでしょうか。引き続き皆野高校や他の学校の校章との関係を確認していければと思います。

皆野高校校旗
1期生の卒業式(昭和44年3月31日挙行)に向けて製作した校旗
(昭和43年度末完成)
令和8年4月8日、新・秩父高校開校式では壇上に掲げた。

(町内、幼小中学校の校章へ つづく)

皆野高校の校章(その9)そもそもデザインは!?

皆野高校、創立当初に定めて使用してきた学校を象徴するデザインの校章。この校章は、60年間、校旗、帽章、徽章、生徒手帳、身分証明書、学校発行の賞状、卒業証書など、様々な物・様々な時々に使用してきました。

そもそも、皆野高校の校章は、なぜこのデザインなのか!?
この皆野高校校章デザインについて、説明のある文章を見つけることはできていません。口伝として、一目瞭然ではありますが皆野町の町章をベースに定まられたと聞いています。【皆野町ホームページより → 町章】

上記は、皆野町ホームページから抜粋しました。皆野町の町章は、3つの「ナ」の円で「の」を囲み「みなの」を図案化し、円満な町の発展を表しているとホームページに記載されています。

ただし、ここで疑問が出てきます。
皆野町章の制定が、昭和48年9月1日と記されています。
皆野高校は昭和41年4月に開校し校章を定めています。いつ制定されたかという具体的な記述は見あたりませんが、創立2年目の昭和43年3月発行の生徒会誌には現在の校章が記載されています。

そうすると、町より皆野高校の制定が先ということになります。
今後、調べてみたい内容です。

昭和43年3月発行 秩父東高校 生徒会誌「凌雲」(上記)には、本校と分校の校舎、校章、校歌が並んで掲載されています。この生徒会誌編集委員長は、分校(皆野高校1期生)の田嶋光作先輩(3/7送辞を読んでいただいた)が、東高校本校の女子先輩方などから推薦されて務めた、ということです。

(つづく)

皆野高校の校章(その8)校舎外壁に掲げられた大校章

皆野高校の正門前で校舎を見上げれば目に入ってくる大校章。この大校章は創立30年目の平成7年に校舎に取り付けられ、校舎と一体になっています。

閉校舎となった現在も、正門の校名板は取り外されましたが、大校章は、東にそびえる美の山から昇る朝日を真正面に受けながら今も輝いています。卒業生からは、皆野高校ここにありの証と感じていただいています。

【設置当初の眩しい金色の校章】

【伝統を重ねた色となった校章】令和8年6月21日撮影


【令和7年度撮影】

設置されている校舎の大校章アップ画像です。直径93cm程です。

【令和8年6月19日撮影】

(つづく)

皆野高校の校章(その7)校章バッジもアレンジです!

皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けた皆野高校ボタンについて書き込みを続けきましたが、本日は校章バッジ。昭和の時代の皆野高校3種類(下記)の校章バッジ。男子は学生服詰襟に穴をあけて、女子はピン付きのタイプで胸に付けました。

昨日の校章ボタン同様に、同じ先輩(11期生)から校章バッジもアレンジしてみた、との連絡をいただきましたので紹介します。素敵です。


100円ショップで見つけた缶バッジマグネットスタンドが校章バッジにジャストフィットしたとのことです。

(つづく)

皆野高校の校章(その6)校章ボタンをアレンジ

皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けた皆野高校ボタンについて書き込みを続けています。3月、卒業生へ校章ボタンを学校窓口で無料配布しました。多くの先輩が来校して持ち帰っていただきました。

先輩の一人から、校章ボタンをこんなふうにアレンジしてみました。校章ボタンとキットとのサイズはジャストフィット、という連絡が来ました。早速、100円ショップで購入して作成してみました。

袖用の小さい校章ボタンにフィットするキットかあると、もっといいですよね!

(つづく)

皆野高校の校章(その5)校章ボタンが呼んだセーラー服

皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けた皆野高校ボタンについて書き込みを続けています。昨日書き込んだ女性の先輩。校章ボタンを学校窓口に取りに来ていただいた時の会話から、皆野高校当初の女子制服「セーラー服が実家にあるかもしれない、探して、あれば持ってきます。」日にちははっきりしませんが、午前中のやりとりでした。

そして午後には、事務室にセーラー服が届いていました。
閉校舎が決まった後、皆野高校セーラー服を学校保管のために探し続け、多くの方に声掛けしてきました。実家にあるかもしれないという方も複数いましたが「見つからなかった」という返事でした。
令和7年10月25日(土)ファイナルイヤー最後の秋桜祭。60年のあゆみ実行委員会ブースでは若い年代の先輩方が、写真を見てセーラー服を復元、展示や試着・記念撮影コーナーを現在の制服と共に実施しました(最下記へ掲載)。 

おたずねです!
このセーラー服を3月に皆野高校事務室へ届けていただいた女子の先輩に連絡があります。下記メールにご一方をお願いします(昨年度校長です)。
【asami.kazuyoshi.7c@spec.ed.jp】
連絡をお待ちしています。

【男子制服ボタンが繋いでくれたセーラー服です】

令和7年度、最後の文化祭であった秋桜祭。
様々なイベントが行われました。
その一つに「青春カムバック・制服フォトイベント」を開催。
男子も女子も、様々なサイズの制服を提供していただきました。ただし、昭和時代のセーラー服のご提供がありませんでした。
ということで、この企画主催者である平成の卒業生が写真を参考にセーラー服を復元して制服フォトイベントを開催しました(後日、復元制作していただいたセーラー服を当HPへ掲載予定です!)。

「秋桜祭ありがとうございました⑧」へリンク

(つづく)

皆野高校の校章(その4)ボタン配布

皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けた皆野高校ボタンについて書き込みを続けています。

このボタンを高校時代に実際使用していたのは、昭和63年4月入学の23期生が卒業した令和3年3月までです。その後35年もの期間、しっかりと保管されていたのは奇跡的なこととも思います。平成元年度入学生から制服がブレザー型に変わりましたが、学生服のボタンが廃棄されることなく今回、日の目が当たることができたのです。世の中、何が起こるかわからないと改めてボタンを眺めながら感じています。

クラウドファンディングの返礼品にも使用しましたが、ボタンの在庫が残っていたので、同窓会ラインを通して「ボタン」無料配布を3月12日に呼びかけました(同窓会ライン新規登録、継続中です)

【LINEで配信された画面】

このラインを見て、多くの先輩方が皆野高校事務室に来校していただきました。
「ボタンください」と・・・
それも、年代・性別に関係なく来校していただきました。
1個という方から、たくさんお持ち帰りの方まで(ボタンの在庫は、まだあります)。

色々と、お話をしていただいた方もいらっしゃいました。

その中で、女性の先輩へ「皆野高校の当初の女子制服。セーラー服が学校に保管されていない。学校保管用に探している。お持ちの方がいませんか。」と声掛けさせていただきました。

その方が「実家にあるかもしれません。探してきます。あれば持ってきます。」というやりとりがありました。

そして・・・

(つづく)

皆野高校の校章(その3)ボタン

皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けたボタンは一昨日の書き込みにも掲載した校章入りの皆野高校オリジナルボタンです。
ボタン(大)と袖のボタン(小)です。


制服ボタン(大)は2.1cm程、袖のボタン(小)は1.5cm程です。

この制服ボタン(大)は、同窓会が令和7年10月~8年1月まで実施したクラウドファンディングの返礼品の一つにも利用させていただきました。大好評でした。

【皆高制服ボタンストラップ・ミニバッグのセット】
皆高ボタンを3つ利用しました(生地は現在の制服生地を使用)。
なお、このクラファン返礼品は必要数のみ製作しましたので在庫等はありません。

(つづく)

皆野高校の校章(その2)1期生

皆野高校、設立当初から昭和63年度入学生(23期生)までの男子制服は黒の詰襟型学生服。

 

1期生の先輩からご提供いただいた写真。黒の学生服に学生ズボン、学生帽(当時どの高校も学生帽は必須)が制服。学生帽の正面と両サイドへ計3個の校章。制服には5個の校章入りボタン袖に2~3個の校章入りボタン(小)、襟に校章バッチをつけ、学生カバンを持った。

 

この手に持つ旗は「秩父東高 E」の旗。女子高の東高(本校)には普通科3クラス(A~C組)、商業科1クラス(D組)。よって皆野分校はE組扱いであった。学校行事は本校・分校が合同で行われた。校章も校歌も、秩父東高校と皆野分校は別のものが定められていた。
 この旗を持つ先輩は、最後の卒業式に登壇していただき、58期生アンカーズへ送辞をいただき、皆野高校60年を丸くしていただいた先輩、その方です。

(つづく)

皆野高校の校章(その1)

皆野高校の校章は、昭和41年度に秩父東高校皆野分校として開校した年に制定され60年間守り続けてきました。

昭和42年度発行の秩父東高校生徒会誌「凌雲」より校章を抜粋
(左)秩父東高校校章
(右)秩父東高校皆野分校校章

校章は男子は学生服の詰襟へ、女子はセーラー服の胸へつけました。男子の学生服には校章ボタン、袖にも校章ボタンをつけました。学帽もあり(12年目あたりで廃止)、帽子の正面には大きな校章、帽子の両サイドにも小さな校章がついていました(帽子の校章の実物は出てきていません)。

MHS の背景色が「白」「紺」「橙」の3色で学年ごとに色違いを付けていました。上記は白と紺です。

帽子の校章は、この画像のタイプです。

制服のボタン(実物)はこれです。

(つづく)

皆野高校ペナント

総合実践室内、中央の部屋。同窓会資料の奥底から出てきた皆野高校ペナント及び校歌ペナントです。

※ ペナントとは・・・細長い二等辺三角形をした「長三角旗」が多いが、長方形、台形などもある。日本プロ野球やメジャーリーグベースボールでは、優勝旗にペナントが使われている。日本の高度経済成長期には観光名所などをあしらった土産品のペナントが流行した。


これらのペナントは、いつ頃つくられたものか現在不明です。ご存知の先輩や先生がいらっしゃいましたらお知らせください。昭和40年代ではないかと推測していますが。

昨日HPに掲載した、学習机の天板を加工して製作した感謝状や卒業証書。この裏面に校歌をレーザー彫りする、という案は、この校歌ペナントの文字を利用したいということから始まったのです。

学校創立当初に製作(推測ですが)したペナントを活用して、皆野高校で使い古した廃材となる予定であった学習机を利用して最後に再現!という動きでの取組案でした。この場で紹介いたします。

校歌ペナントの上にA4サイズにした机の天板を載せて撮影してみました。B4サイズの大きさのペナントです。

教員から校長への卒業証書

令和8年3月24日(火)本来であれば令和7年度、終了式の日です。

皆野高校は3月7日の卒業式をもって在校生は0名となりましたので、式は行いません。
それでも、卒業式後も学校活動は忙しく継続していました。

年間行事としては、この日が3学期の最終日。
翌日3月25日からが学年末休業です。
教職員も、生徒はいなくても3月24日までは今まで通り、朝の打ち合わせを行って校内の片づけや書類整理やデータ処理、マスコミやお客様対応など、日々打ち合わせや情報共有を行いながら閉校舎に向けて忙しい日々を送っていました。

この3学期最終日、商業科の先生方が校長室に来てくれました。
この「卒業証書」を持って。

これは、閉校舎式でアンカーズへ贈った「感謝状」用として使った学習机の天板廃材を加工してA4版サイスに切り削った板です。
この板の予備を、商業科の先生方が校長への「卒業証書」として製作し、授与式を行ってくれたのです。

皆野高校は、校長にも優しい大変素晴らしい高校でした。商業科の先生方はもちろん、全員の教職員の皆さまに改めて感謝です。

なお、この学習机を閉校舎式の感謝状に利用するという発案の中で、表面は感謝の文章、裏面は校歌をレーザーで刻むという予定でした。しかし、24枚を両面でレーザー加工するには時間が足りず、止む無く裏面に校歌を刻むことは実現できませんでした。

この当初案、両面レーザー刻み(下記)を商業科の先生方が実現し、贈っていただきました。宝物です。

R8年度・県立学校等学校公開講座の募集がスタートしています

令和8年度の県立学校等学校公開講座の募集が始まっています。
【下記画像】埼玉県「県教委だより」No.752・2026 5月号、4ページより抜粋

皆野高校でも学校規模が縮小する中でしたが令和7年度まで地域との連携・交流の取り組みとして積極的に県の公開講座に取り組んできました。記録では昭和56年度から簿記講座、その後、コンピュータ講座と長い期間にわたって取り組んできています。近年では先生方が工夫した内容で様々な講座を開講して地域の皆さんから楽しみにされる取組に定着していました。最後の令和7年度は14講座を開講し258名の参加がありました。この皆野高校の公開講座について、詳細は1月21日に掲載しています。ご覧ください。

上記記載の県公開講座関係のHPへリンクします。(6/11(木)現在 掲載日:2025年12月19日の内容には令和7年度冬季の内容が掲載されており【北部】では皆野高校の取り組み内容が多く掲載されています。)・・・6/17に令和8年度夏季講座用に上書きされました。
https://www.pref.saitama.lg.jp/f2215/station/kokaikouza.html


ちちぶエフエムとの連携 卒業生も!

今まで皆野高校は「ちちぶエフエム」様には大変応援していただいてきました。取材に来校していただいたり、イベント先でリポートしていただくなど生徒の取組をたくさん発信していただきました。本当にありがとうございました。

今年度も7年目となる、ちちぶ定住自立圏様のご支援によるちちぶエフエムの番組「きらきらハイスクールライフ」が始まっているようです。昨年度までは秩父地域4高校の出演でしたが、今年度からは秩父地域4県立学校の出演として、各学校の取組や特徴が発信され楽しく視聴させていただいています。皆さまもぜひ、ご視聴ください。

昨年度、最後の皆野高校「きらきらハイスクールライフ」の出演の書込へリンクします。

さらに、今年から秩父地域雇用対策協議会提供による「教えて先輩!地元で働くリアルボイス」という番組が始まり、秩父出身の先輩が地元の会社に就職して活躍しているリポート番組が始まっています。皆野高校を一昨年度に卒業されたラスト皆高の先輩も出演、発信されていました。この画像を添付させていただき、紹介させていただきます。先輩、益々ご活躍ください!

左側の方が先輩です。
ぜひ、地元の高校で学び、地元に就職して秩父地域を盛り上げていきましょう‼️

6月の芝桜の丘

秩父市羊山公園、芝桜の丘での取組。

今年の芝桜は4月下旬頃が満開。皆野高校生徒会が平成29年度から継続した植栽活動。9年目に同窓会へと引き継がれて3月24日に卒業したアンカーズを中心に植栽を取り組みました(4月26日満開の状況を掲載)。5月に入ると無料入場となっていましたが多くの方が訪れていました。

あれから1カ月、6月1日に看板回収を兼ねて芝桜の丘へ行ってきました。
来年は、みなこう会が引き継いで植栽活動を予定しています。ぜひ、ご協力ください。

【6月1日 18:15 芝桜の丘・市民ガーデン】夕日に照らされながら撮影


皆高ホームページ「1111日」連続更新です

5月28日に皆野高校ホームページ、毎日更新「輝く皆高」デイリーニュースの連続更新「1100日」との記載をさせていただきました。

本日、連続更新「1111日」と1並び。ゴロ合わせで、4つの「1」で ”喜び1番” の日とさせていただきます。

統合による閉校舎。大変残念で、卒業生をはじめ多くの関係者にとっては大変悲しい・・・。しかし、少子化の中で学校が多すぎるという実情に対応しなければならないことも事実。
皆野高校閉校舎に対して色々なご意見をいただきましたが、この事実を受け止めて、ピンチはチャンスの精神で令和5年度からの3年間、そして令和7年度ファイナルイヤー、大勢の方々の力を結集して、アンカーズを中心に閉校舎に向けた前向きな取り組みにチャレンジすることができました。
閉校舎だから・・・。というご意見のなかに「この機会に懐かしい多くの方と再会することができた。途切れていた昔の仲間たちとお付き合いが復活した。母校に入って行事に協力できた。60年の歴史を知ることができた。」などなど。

新校を検討する中で、校名をどうするか。令和8年度統合、12校が6校となる中、県へ寄せられた「秩父・皆野新校」への校名募集の反響は一番多くありました。皆野という文字を生かす校名候補も最終段階まで残っていました。皆野高校側としては、そのような意向も多かったと思います。そんな中、皆野高校卒業生から感動する意見が目にとまりました。
それは、「皆野高校は閉じ校名もなくなると思う。皆野高校卒業生として大変悲しい。新たな高校としての校名検討が進んでいるが、秩父高校の卒業生は当然校名は変えたくない、馴染みある伝統の校名が変わるようなことがあれば当然悲しい。悲しむのは皆野高校卒業生だけで十分。秩父高校の卒業生まで悲しませることはない。よって、校名は秩父高校が良い」という意見の概要。皆野高校卒業生には、こういった暖かい方もいらっしゃることに感動。

喜び1番の本日、ぜひ卒業式での言葉を公開してほしいという意見が寄せられました。
校長式辞、PTA会長祝辞、1期生から卒業生に向けられた送辞、卒業生からの答辞の現物は、皆野高校校長室に保管されたままになっています。現在、県の管理下にある校舎に立ち入ることができない状況です。今後、機会があれば公開したいと思います。よって、再掲のものもありますが、写真を掲載します。なお、校長式辞の一部は「切り抜き」されて「全国!中高生ニュース」TikTokで公開されています。

校長式辞


PTA会長祝辞


1期生田嶋先輩による壇上からの送辞


卒業生からの答辞

西武文理大学のWebへ掲載!

令和7年度、皆野高校と西武文理大学は1年限りの「高大連携協定」を結びました。

この協定は、皆野高校最後の年に取り組んだ「観光ツアープロジェクト」に向け、たった1つのプロジェクトを充実させるために、秩父地域の観光の研究をすすめていた西武文理大学岩瀬ゼミと皆野高校商業科との連携でした。

西武文理大学の岩瀬先生には、このプロジェクト以外にも皆野高校に対して様々な連携をしていただき教育活動の支援をいただきました。

3月7日の卒業式・閉校舎式にも来校していただき、その様子などが 西武文理大学ホームページに3月18日に掲載されました。紹介が遅くなり申し訳ありません。

こちらからリンクします。(下記画像は一部抜粋)

3月11日に秩父地方庁舎で開催された、西武文理大学岩瀬ゼミ「秩父地域に関する卒業研究発表会」には皆野高校代表として参加させていただきました。発表内容には、皆野高校との連携にも触れてただきました。

令和7年度学校自己評価システムシート、秩父高校のホームページからも確認できます。

皆野高校ファイナルイヤー、令和7年度学校自己評価システムシート
2月9日に学校運営協議会を開催、委員より学校関係者評価をいただき、3月13日に皆野高校ホームページに公開しました。

印刷もして皆野町全戸回覧、皆野町役場などの施設へ配架、保護者へも配布して確認していただきました。

 

4月1日に秩父高校との統合に伴い、
秩父高校のホームページ内からも
皆野高校令和7年度学校自己評価シートは公開されています。 
(秩父高校の学校自己評価システムシートと共に)

入学式前の秩父高校を見学

4月7日(火)新・秩父高校の入学式と始業式の前日に校内見学させていただきました。

令和7年度は第1期工事として、管理棟校舎に足場が掛けられテントも張られ校内や外装の工事などもあり、正門前の駐車場も限られていましたが、工事も一段落していました。校舎内へエレベーターも初めて設置され、黒板もホワイトボード、新しい机なども搬入されていました。校長先生、教頭先生、事務部長さんと共に校内見学させていただきました。

窓から見える山々。
秩父市のシンボルは「武甲山」1,304メートル
皆野町のシンボルは「美の山」581.5メートル
美の山は、皆野町だけでなく秩父市にもまたがっている山です。
秩父高校の4階から見る「美の山」は遠くに感じましたが、しっかりそびえ立っていました。

3月卒業式後には、皆野高校から生徒用の学習机などが秩父高校で利用するために相当数、配置転換され専門業者により運搬されています。今後、秩父高校校舎の工事が再開し、秋頃までの予定とのことです。皆野高校の歴史や部活動の展示物などを配置する部屋も、秋以降の完成に向けて進みたいと思っています。

新・秩父高校の記事(秩父経済新聞 R8.5.1)にリンクします。
秩父高校・松本校長と澁澤教頭が描く
「夢を語り、秩父から世界とつながる学校」

皆野高校インスタの取組が繋がっていきます!

令和8年4月、皆野高校は秩父高校と統合しました。新・秩父高校は、さらなる魅力的な高校へと向かって、積極的に工夫した取り組みなどを展開されてます。皆野高校からも3名の教職員が4月に異動となり勤務されています。

秩父高校Webへリンク

この秩父高校で、先月から硬式野球部がインスタをスタートさせました。ある意味、皆野高校のインスタの取組が繋がったとも言えるものです。応援しましょう!


秩父高校、頑張ってください。硬式野球部インスタのページへ

 
皆野高校 野球部 で検索するとAIは・・・

と掲載されます。
皆野高校での様々な取り組みが、他校の取組に繋がってほしいと願っています!
(インスタ 完)

皆野高校の地域連携からのインスタがスタート

学校全体のインスタを始めるにあたり紆余曲折ありましたが、
生徒の取組や様子を撮影した動画を中心に発信するインスタグラムが令和6年11月25日にスタート第1回目の投稿が始まりました。閉校まで469日。@minano_koukou

令和8年3月の閉校舎に向けて、日々の学校活動等を動画で撮り、卒業式までをカウントダウンしながら発信し、多くの方々にフォローしてもらい皆野高校を広く知っていただこう、というものです。

このインスタの取組に向けて、ICT委員会を中心に校内や県教委への手続きを進めるとともに、並行しながら地域おこし協力隊員や世界一周大学の学生の協力により撮影や発信に向けた編集作業などが始まりました。11月1日(金)・2日(土)の秋桜祭では、インスタ発信用の「動画撮影中」などの掲示や声掛け、腕章をして協力者の方々に撮影をしていただきました。

当初、11月25日の第1回目(閉校まで469日)から、12月下旬頃までほぼ毎日更新されカウントダウンも行われていました。

その後は、教員による撮影となりインスタ配信を継続し、令和8年3月30日の発信で100投稿とすることができました。




『2年後に閉校する皆野高校【公式】』から始まり、
現在は「100日後に閉校する皆野高校【公式】」と移り変わってきました。

(つづく)

皆野高校の地域連携からのインスタへの取組

皆野高校の「インスタグラム」による発信。
昨日書き込みした通り、令和4年9月から皆野高校商品開発チームが学校独自でインスタによる発信をスタートしました。

その後、埼玉県内でも多くの高校でインスタによる発信が始まり、県教育委員会からも一定の手続きをした上での積極的な発信の推奨が始まりました。

皆野高校でもホームページによる発信と合わせて、学校全体の取組発信にインスタ活用を検討していました。

令和6年度当初、皆野町地域おこし協力隊・皆野町と冒険協定を結んでいる世界一周大学の方々から「皆野高校インスタに関するご提案」をいただきました。その発想は大きなものでした。

令和8年3月の閉校舎に向けて、日々の学校活動等を動画で撮りカウントダウンしながら発信して多くの方々にフォローしてもらい皆野高校を広く知っていただこう。さらに、この皆野高校ファイナルに向けての様々な取組映像を利用して映画化しようという発想です。

撮影も、教員数が減少し厳しい状況であることから、連携団体として地域おこし協力隊員や世界一周大学の学生が協力するという素晴らしい内容でした。

学校としてはICT委員長を中心にICT委員会や管理職を交えて検討を進め、令和6年10月10日には学校側と地域おこし協力隊・世界一周大学の校長や学生の方々との検討会を実施しました。

事前に作成していただいたインスタへの発信イメージ動画などを見るなどして、互いに活発な意見交換をしてインスタ発信に向けて検討が進みました。映画監督をされている方も参加していただいています。会議後は、生徒の様子を見学していただいています。

インスタで学校紹介の発信を先進的に取り組んでいる高校なども参考に、順調に進んでいたのですが。

校内で、インスタに触れたことのない方もおり、インスタによる発信のリスクが大きいのではないのかという強い意見があり、その対応で学校としてのインスタ開始が遅れることとなります。

それでも、ICT委員長を中心に1つずつ、そのリスクに対応してクリアしながら理解を得て、県への届も済みました。この1か月以上の期間が開いたことで地域連携という形での取組の軌道から外れてしまいます。この間、インスタのスタートに向けて協力いただく皆さんが、10月の秋桜祭を中心にインスタ発信用の動画を撮りため、編集して準備を進めていただいていました。皆野高校への皆さんの熱い思いを受けて、学校担当者は準備を進めてきたのですが時間がかかりすぎてしまいました。

それでも令和6年11月25日(月)に第1回目の投稿、
閉校まで469日(最初の投稿動画の最後の画面)
@minano_koukou

(つづく)

皆野高校インスタによる発信

皆野高校の広報活動は多岐にわたり工夫しての発信活動に取り組んできました。注目も多くいただいています。県立教育センターでも広報活動の取組についての研修会で皆野高校の取組の講演をさせていただき、他校の参考にもしていただきました。

このうちSNS「インスタグラム」についても県内高校でも、いち早く取り組んでいます。令和4年9月には皆野高校商品開発チームがインスタを利用して発信を開始しています。

インスタによる取り組み。この最初の商品開発チームによる学校独自での発信、そして令和6年11月から地域との連携による新たなインスタでの発信。そして先月からの新校での繋がり。4回に分けて、これらの取組を紹介します。

令和4年9月14日には皆野高校商品開発チームがインスタを利用しての発信を開始しています。
@minano_hs

【最初の発信】

【2回目の発信】新商品「なんちゃって!?みそぽてサブレ」のチラシを配信。このチラシは最後まで利用し販売活動に取り組みました。
この後も連携団体より、この「みそぽてサブレ」が登場します。ご期待ください!


【3回目の発信。生徒が栽培中のジャガイモ畑より~】

この商品開発チームによるインスタ、「なんちゃって!?みそぽてサブレ」に続き、「しかコロぱん」「観光ツアープロジェクト」と最後まで発信を継続しました。


【下記より商品開発チームのインスタへリンクします】

商品開発や販売に関する情報発信を行うために、インスタグラムを開設しました!
販売実習の予定、商品開発過程について発信していきます!
下記バナーからアクセスし、フォローお願いします。【現在も、トップページからリンクしています。】

(つづく)