閉校舎後も、書き込みを継続してきました8/3。

2026年6月の記事一覧

思い出の場所3-1

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】

皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)

この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。

この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】

昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。

(つづく)