2026年6月の記事一覧
思い出の場所3-1
坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】
皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)
この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。
この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】
昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。
(つづく)
思い出の場所2
これは・・・
昇降口の下(脇)に、こんな建物があったのを知っていますか!? 物入れなどの倉庫ではありません。
これは平成15年度前後に建てられた建物です。
生徒には馴染みのない、一定の先生方などの思い出の場所かと!
写真奥に校門がチョコっと見えています。
この建物も解体されました。
想い出の場所
昨日「思い出の校舎」として掲載させていただきました。
先輩方の思い出を語りつくすことは不可能ですが、後半の卒業生にとって思い出の一つであろう昼食のパン販売について掲載します。
皆野高校生の昼食は・・・
購買部があった時代、食堂が営業していた時代、パン屋さんがパン販売に来ていた時代、弁当屋さんが弁当販売に来ていた時代などなど。
それらの中での思い出のお昼!
令和7年4月25日最後の年の最初のイベント、10月27日最後の秋桜祭などで出店要望があり「あのパンを販売してほしい」。この要望に卒業生でもあるパン屋さん「橋本パン」が販売に来校していただきました。懐かしがって食べていた方も多く、パンは両日とも完売となりました。
【R7.4.25、イベント時のパン販売(体育館)】
想い出の場所が解体
その場所は体育館入り口横にありました。
ここです! パン販売場所には時間になると生徒たちが群がっていました。
残念ながら、この場所も県が建てた建物ではないので解体しなくてはなりませんでした。
地面のコンクリートの色の違いがパン屋さんの足跡です。
みなさん、それぞれの思い出の場所は!?
令和7年4月25日(日)・令和7年10月27日(土)・令和8年3月7日(土)
この3日間、皆野高校ファイナル三大ビッグイベントとして、他校では実施できないような行事を開催しました。多くの先輩方、旧職員、近隣の地域の皆さんにご協力いただき、ご来校いただきました。
他にも、
・夏休みと冬休みの公開講座(令和7年度・14講座、延べ258名が来校)
・「てっぺんの向こうにあなたがいる」吉永小百合主演映画、全国一斉公開日(令和7年10月31日)を受けて皆野高校地域関係者への公開鑑賞(令和8年1月30日)→ この映画と皆野高校との関係について後日掲載予定!
・フジテレビ番組「ミュージックジェネレーション」の関係者公開収録(収録日:令和8年2月8日、放送日:3月5日)
などでも多くの方に来校していただきました。さらに、卒業生が個人的に学校訪問・見学 等の申込も多数あり、個々対応させていただくこともありました。
皆野高校の統合が令和4年の夏に発表されてから約3年半。この残された期間で、高校時代の「思い出探し」をしていただけた先輩も多くいらっしゃったのではないかと思います。それでも「知らなかった」という方もいらっしゃいます。完璧な周知ができなくて申し訳ありませんでしたが、特に皆野高校は多くのマスコミ、新聞やテレビ、ネットでも取り上げていただくことができました。さらに、教職員等の関係者が地域イベントなどで精力的に発信の活動を行ってきました。周知できなかった先輩方には申し訳なく思います。
皆野高校の歴史は統合という形で、新たな秩父高校となって引き継がれていきます。皆高ルーム(仮称)もしっかり整備したいと思います(令和8年度末までには)。今後、ご期待ください。連絡手段としては、同窓会LINEの継続使用、同窓会が4月から再結成となった「みなこう会」が今後作成予定のHPとなります。
思い出の校舎
皆野高校60年。高校3年間通った校舎。年代によって思い出の場所は様々かと思います。校舎も大渕の校舎は3代目です。
最初の1年間は現在の皆野町役場前、道を挟んだ役場駐車場内に校舎のあった秩父農工高校定時制皆野分校(石碑があります)を使用。1期生が1年間、教室を間借り。定時制生徒が登校する午後4時頃には下校しなければならなく、生徒会や部活動も思うように活動できなかったとのことです。【下記が初代校舎】
2年目の昭和42年度から45年8月までは、現在の皆野町役場の場所にあった旧皆野中学校。中学校が統合のために移転となり、旧校舎を皆野高校の校舎として使用。1年目の間借り状態から、鉄筋3階建て講堂もありグラウンドも広い自前校舎となり1期生は大喜び。1期生と2期生は大渕の校舎を知らずに卒業されていきました。【下記が2代目校舎】
皆野高校開校5年目、昭和45年8月に幾多の困難を乗り越えて、大渕へ新校舎が新築されました。最初は1棟のみ(下記写真の手前の枠が体育館代わりに使用した集会室の建築前)。3・4・5期生が、教職員、保護者や地域の方々の協力により引っ越して、グラウンド整備なども大変な思いをされて完成した新校舎です。最初は西側部分は階段までしかありませんでした。周りは山と畑のみです。
先輩方の思い出を語りつくすことはもちろん不可能です。
それでも、5期生の先輩が当時の皆野高校思い出の場所や行事写真を編集していただきました。バックミュージックを流しながら説明文入りのパワーポイントを作成していただき懐かしい動画を繰り返し文化祭時に教室で流して公開しました。後輩たちは感動感心しながら視聴させていただきました。(下記写真 R6.11.2撮影)
(テレビ画面には「熊谷方面からの通学風景」との記載あり)R6.11.2
なお、60周年記念式典(R7.10.25)60年のあゆみ実行委員会で製作し公開した動画。まだご覧になっていない方がいましたら下記からご覧ください。
皆野高校誕生物語(YouTube 10分11秒)
後半以降の先輩方が口々にされていた思い出の場所!?・・・、明日掲載予定です。
皆野高校・平成元年度入学生からの新制服
皆野高校創立24年目となる平成元年度入学生より新たなブレザー型制服となり、男子は赤のネクタイ、女子は緑のリボン、制服ボタン・エンブレムも新しいデザインのものとなりました。
【上記写真について】
関東図書株式会社発行「埼玉県公立高校紹介」2021年度版・全418ページ中の14ページより制服写真を抜粋。
その後も、2022年度版、2023年度版(最後の生徒募集の年度)までこの写真が掲載された(モデルは平成時代の卒業生、長期間に渡り使用した)。
この制服変更は当時先進的な取組であった。この時代、多くの高校で生徒の服装違反、服装の乱れが目立っており、生徒指導の柱として服装指導に取り組んでいた。服装違反の原因として、戦前と変わらない男子の詰襟服、女子セーラー服という旧態依然の制服そのものにも原因があると考えた。
そこで、①生徒が誇りを持って着られる制服、 ②ビジネスを学ぶ高校としてワープロやコンピュータなど事務機器の操作しやすい活動的な制服、③中学生にとっても魅力的であり憧れを抱くような制服、をつくりたいという意見が盛り上がり、昭和62年度2学期に制服検討委員会を設置、公聴会や生徒アンケートを実施し、生徒会や職員会議で検討。その結果、平成元年度入学生より他校に先駆けてブレザー型制服を採用した。生徒・教職員・地域からも大好評で、他高校からも注目された。
平成元年度、情報処理科の誕生と合わせて近代的な制服採用は、皆野高校が地域に根ざした特色ある高等学校として、希望に満ちた一歩を強く踏み出す原動力となった。この年の入試倍率は、推薦入学・一般入学ともに極めて高く、在籍生徒数も700名を超えている。
新制服に使われた新たなデザインによる「エンブレム」と「ボタン」
男子・女子ともに制服生地やベスト、セーターなどはマイナーチェンジをしてきている。男子のベルト、女子のハイソックスも皆高エンブレムデザイン入りの指定のものでした。
皆野高校の校章(その11)皆野町内の学校校章
昨日・一昨日と、そもそも皆野高校校章の由来について掲載しました。
皆野町の町章と深い関係があるようです。
では、皆野町の他の学校の校章はどうなのか?
幼稚園1、小学校3、中学校1の計5校が存在しますので調べてみました(情報は、全てネット検索によります)。校名から各学校のHPへもリンクします。
皆野幼稚園(開園昭和48年、創立53年)
| 国神小学校 開設は明治6年、金崎学校(長興寺)と大巻学校(薬王寺)から始まり153年目。平成14年度に日野沢小学校と、平成25年度に金沢小学校と統合し現在の国神小学校となりました。令和9年3月で閉校、4月から皆野小学校へ統合。 |
| 皆野中学校 昭和38年度、皆野統合中学校設置(国神、日野沢、金沢中学校を統合)。暫定措置として国神中学校を本校、日野沢中学校及び金沢中学校を分教場。昭和39年度皆野、三沢中学校を統合、暫定措置として本校、皆野分教場、三沢分教場。昭和42年3月皆野分教場移転(←移転後の42年4月より45年8月まで皆野高校の校舎として使用した)。42年4月実質統合完了に伴い、校名を皆野中学校と改称、校章を定める。平成20年10月新校舎完成。皆野中学校HP 沿革へリンク。
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と、上記3校は町章及び皆野高校校章と同様に、3つの「ナ」の円を使用して図案化されています。
しかし、皆野小学校と三沢小学校の2校には町章のような3つの「ナ」は使われていませんでした。
皆野小学校(開校明治6年、創立153年)
三沢小学校(開校明治7年、設立152年)
三沢小学校の校章は、見ようによっては「ナ」にも見えますが。
どの学校も伝統ある学校です。この各校の校章、3つの「ナ」について、さらに調べられたらと思います。
皆野高校は、町内のこの5校、さらに私立の明星保育園・国神保育園と様々な形で多くの連携・交流により充実した教育活動に取り組み、生徒たちを大きく成長させることができました。ありがとうございました。
(校章・完)
皆野高校の校章(その10)そもそもデザインは2
昨日掲載した、皆野町ホームページから抜粋した町の町章。
制定が昭和48年9月1日と記されているという件です。
早速ですが、解決しました。
検索結果、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「埼玉県の市町村章一覧」が掲載されていました(下記は一部抜粋画像です)。
この情報によると、昭和48年9月1日というのは地方自治法に基づき町議会の議決により町章を決定・告示した日ということです。実際には昭和40年5月2日に制定され使用されていたとの記載です。
皆野町の町章は皆野高校開校1年前の制定。皆野高校開校と何か関係があったのでしょうか。引き続き皆野高校や他の学校の校章との関係を確認していければと思います。
皆野高校校旗
1期生の卒業式(昭和44年3月31日挙行)に向けて製作した校旗
(昭和43年度末完成)
令和8年4月8日、新・秩父高校開校式では壇上に掲げた。
(町内、幼小中学校の校章へ つづく)
皆野高校の校章(その9)そもそもデザインは!?
皆野高校、創立当初に定めて使用してきた学校を象徴するデザインの校章。この校章は、60年間、校旗、帽章、徽章、生徒手帳、身分証明書、学校発行の賞状、卒業証書など、様々な物・様々な時々に使用してきました。
そもそも、皆野高校の校章は、なぜこのデザインなのか!?
この皆野高校校章デザインについて、説明のある文章を見つけることはできていません。口伝として、一目瞭然ではありますが皆野町の町章をベースに定まられたと聞いています。【皆野町ホームページより → 町章】
上記は、皆野町ホームページから抜粋しました。皆野町の町章は、3つの「ナ」の円で「の」を囲み「みなの」を図案化し、円満な町の発展を表しているとホームページに記載されています。
ただし、ここで疑問が出てきます。
皆野町章の制定が、昭和48年9月1日と記されています。
皆野高校は昭和41年4月に開校し校章を定めています。いつ制定されたかという具体的な記述は見あたりませんが、創立2年目の昭和43年3月発行の生徒会誌には現在の校章が記載されています。
そうすると、町より皆野高校の制定が先ということになります。
今後、調べてみたい内容です。
昭和43年3月発行 秩父東高校 生徒会誌「凌雲」(上記)には、本校と分校の校舎、校章、校歌が並んで掲載されています。この生徒会誌編集委員長は、分校(皆野高校1期生)の田嶋光作先輩(3/7送辞を読んでいただいた)が、東高校本校の女子先輩方などから推薦されて務めた、ということです。
(つづく)
皆野高校の校章(その8)校舎外壁に掲げられた大校章
皆野高校の正門前で校舎を見上げれば目に入ってくる大校章。この大校章は創立30年目の平成7年に校舎に取り付けられ、校舎と一体になっています。
閉校舎となった現在も、正門の校名板は取り外されましたが、大校章は、東にそびえる美の山から昇る朝日を真正面に受けながら今も輝いています。卒業生からは、皆野高校ここにありの証と感じていただいています。
【設置当初の眩しい金色の校章】
【伝統を重ねた色となった校章】令和8年6月21日撮影
【令和7年度撮影】
設置されている校舎の大校章アップ画像です。直径93cm程です。
【令和8年6月19日撮影】
(つづく)
皆野高校の校章(その7)校章バッジもアレンジです!
皆野高校創立当初からの制服、学生服に付けた皆野高校ボタンについて書き込みを続けきましたが、本日は校章バッジ。昭和の時代の皆野高校3種類(下記)の校章バッジ。男子は学生服詰襟に穴をあけて、女子はピン付きのタイプで胸に付けました。
昨日の校章ボタン同様に、同じ先輩(11期生)から校章バッジもアレンジしてみた、との連絡をいただきましたので紹介します。素敵です。
100円ショップで見つけた缶バッジマグネットスタンドが校章バッジにジャストフィットしたとのことです。
(つづく)