閉校舎後も、書き込みを継続してきました8/3。

毎日更新「輝く皆高」デイリーニュース

思い出の場所3-2

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。昨日、校門前の県道・長生荘へ降りる坂道について書き込まさせていただきました。

しかし、移転当初の約15年ほどは、もう一つの坂がありました。
6月26日の後半にも書き込みましたが5期生の先輩が、当時の思い出写真を編集し懐かしい動画を文化祭で公開したなかにも含まれていた「もうひとつの坂」について掲載します。

いつから、この坂が閉鎖されたのか今のところ詳細は分かっていません。出入り口にはカギがかけられています。

この坂です!

 皆野中学校方面から栗谷瀬橋を渡り、国神郵便局・国神交差点を通り過ぎ、橋を渡った後は、道が狭くなり危険なので、左折して迂回する道が通学路になっていました。しかし、大渕へ移転当初の時代は、左折せず直進。今は八潮守屋建設株式会社がある裏の急坂を登って登校していました。登りきるとグラウンドに出ます。

この坂です(皆野高校の敷地です)令和7年度撮影。

この坂を登って、どう昇降口へ向かったかというと!

 昇降口へは、下記写真の赤線のようにグラウンドを横切って向かいました。下記写真は、弓道場のところに工事車両もあります。弓道場がこの場所に移転したのは昭和55年6月ですので、その頃の写真と思われます。


この赤線のように坂を登り、グラウンド横切って登校した時代もありました(写真は令和7年1月撮影)。
雨の日にグラウンドを横切るのは、水溜まりが多く大変だったということです!

この坂から栗谷瀬橋(昭和38年11月開通)方面を撮影した写真
(皆野高校開校前)

 【 写真提供・皆野駅前、大和屋カメラ様 】

(明日へ、つづく)

思い出の場所3-1

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】

皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)

この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。

この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】

昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。

(つづく)

思い出の場所2

これは・・・
昇降口の下(脇)に、こんな建物があったのを知っていますか!? 物入れなどの倉庫ではありません。

これは平成15年度前後に建てられた建物です。
生徒には馴染みのない、一定の先生方などの思い出の場所かと!

写真奥に校門がチョコっと見えています。
この建物も解体されました。

想い出の場所

昨日「思い出の校舎」として掲載させていただきました。
先輩方の思い出を語りつくすことは不可能ですが、後半の卒業生にとって思い出の一つであろう昼食のパン販売について掲載します。

皆野高校生の昼食は・・・
購買部があった時代、食堂が営業していた時代、パン屋さんがパン販売に来ていた時代、弁当屋さんが弁当販売に来ていた時代などなど。


それらの中での思い出のお昼!
令和7年4月25日最後の年の最初のイベント、10月27日最後の秋桜祭などで出店要望があり「あのパンを販売してほしい」。この要望に卒業生でもあるパン屋さん「橋本パン」が販売に来校していただきました。懐かしがって食べていた方も多く、パンは両日とも完売となりました。

【R7.4.25、イベント時のパン販売(体育館)】

想い出の場所が解体
その場所は体育館入り口横にありました。

ここです! パン販売場所には時間になると生徒たちが群がっていました。

残念ながら、この場所も県が建てた建物ではないので解体しなくてはなりませんでした。


地面のコンクリートの色の違いがパン屋さんの足跡です。

みなさん、それぞれの思い出の場所は!?

令和7年4月25日(日)・令和7年10月27日(土)・令和8年3月7日(土)
 この3日間、皆野高校ファイナル三大ビッグイベントとして、他校では実施できないような行事を開催しました。多くの先輩方、旧職員、近隣の地域の皆さんにご協力いただき、ご来校いただきました。

他にも、
夏休みと冬休みの公開講座(令和7年度・14講座、延べ258名が来校)
「てっぺんの向こうにあなたがいる」吉永小百合主演映画、全国一斉公開日(令和7年10月31日)を受けて皆野高校地域関係者への公開鑑賞(令和8年1月30日)この映画と皆野高校との関係について後日掲載予定!
フジテレビ番組「ミュージックジェネレーション」の関係者公開収録(収録日:令和8年2月8日、放送日:3月5日)
などでも多くの方に来校していただきました。さらに、卒業生が個人的に学校訪問・見学 等の申込も多数あり、個々対応させていただくこともありました。

 皆野高校の統合が令和4年の夏に発表されてから約3年半。この残された期間で、高校時代の「思い出探し」をしていただけた先輩も多くいらっしゃったのではないかと思います。それでも「知らなかった」という方もいらっしゃいます。完璧な周知ができなくて申し訳ありませんでしたが、特に皆野高校は多くのマスコミ、新聞やテレビ、ネットでも取り上げていただくことができました。さらに、教職員等の関係者が地域イベントなどで精力的に発信の活動を行ってきました。周知できなかった先輩方には申し訳なく思います。

 皆野高校の歴史は統合という形で、新たな秩父高校となって引き継がれていきます。皆高ルーム(仮称)もしっかり整備したいと思います(令和8年度末までには)。今後、ご期待ください。連絡手段としては、同窓会LINEの継続使用、同窓会が4月から再結成となった「みなこう会」が今後作成予定のHPとなります。

思い出の校舎

皆野高校60年。高校3年間通った校舎。年代によって思い出の場所は様々かと思います。校舎も大渕の校舎は3代目です。

最初の1年間は現在の皆野町役場前、道を挟んだ役場駐車場内に校舎のあった秩父農工高校定時制皆野分校(石碑があります)を使用。1期生が1年間、教室を間借り。定時制生徒が登校する午後4時頃には下校しなければならなく、生徒会や部活動も思うように活動できなかったとのことです。【下記が初代校舎】

2年目の昭和42年度から45年8月までは、現在の皆野町役場の場所にあった旧皆野中学校。中学校が統合のために移転となり、旧校舎を皆野高校の校舎として使用。1年目の間借り状態から、鉄筋3階建て講堂もありグラウンドも広い自前校舎となり1期生は大喜び。1期生と2期生は大渕の校舎を知らずに卒業されていきました。【下記が2代目校舎】

皆野高校開校5年目、昭和45年8月に幾多の困難を乗り越えて、大渕へ新校舎が新築されました。最初は1棟のみ(下記写真の手前の枠が体育館代わりに使用した集会室の建築前)。3・4・5期生が、教職員、保護者や地域の方々の協力により引っ越して、グラウンド整備なども大変な思いをされて完成した新校舎です。最初は西側部分は階段までしかありませんでした。周りは山と畑のみです。

先輩方の思い出を語りつくすことはもちろん不可能です。
それでも、5期生の先輩が当時の皆野高校思い出の場所や行事写真を編集していただきました。バックミュージックを流しながら説明文入りのパワーポイントを作成していただき懐かしい動画を繰り返し文化祭時に教室で流して公開しました。後輩たちは感動感心しながら視聴させていただきました。(下記写真 R6.11.2撮影)

(テレビ画面には「熊谷方面からの通学風景」との記載あり)R6.11.2

なお、60周年記念式典(R7.10.25)60年のあゆみ実行委員会で製作し公開した動画。まだご覧になっていない方がいましたら下記からご覧ください。
皆野高校誕生物語(YouTube 10分11秒)

後半以降の先輩方が口々にされていた思い出の場所!?・・・、明日掲載予定です。