閉校舎後も、書き込みを継続してきました8/3。

毎日更新「輝く皆高」デイリーニュース

皆野高校・平成元年度入学生からの新制服

皆野高校創立24年目となる平成元年度入学生より新たなブレザー型制服となり、男子は赤のネクタイ、女子は緑のリボン、制服ボタン・エンブレムも新しいデザインのものとなりました。

【上記写真について】
 関東図書株式会社発行「埼玉県公立高校紹介」2021年度版・全418ページ中の14ページより制服写真を抜粋。
 その後も、2022年度版、2023年度版(最後の生徒募集の年度)までこの写真が掲載された(モデルは平成時代の卒業生、長期間に渡り使用した)。

 この制服変更は当時先進的な取組であった。この時代、多くの高校で生徒の服装違反、服装の乱れが目立っており、生徒指導の柱として服装指導に取り組んでいた。服装違反の原因として、戦前と変わらない男子の詰襟服、女子セーラー服という旧態依然の制服そのものにも原因があると考えた。
 そこで、①生徒が誇りを持って着られる制服、 ②ビジネスを学ぶ高校としてワープロやコンピュータなど事務機器の操作しやすい活動的な制服、③中学生にとっても魅力的であり憧れを抱くような制服、をつくりたいという意見が盛り上がり、昭和62年度2学期に制服検討委員会を設置、公聴会や生徒アンケートを実施し、生徒会や職員会議で検討。その結果、平成元年度入学生より他校に先駆けてブレザー型制服を採用した。生徒・教職員・地域からも大好評で、他高校からも注目された。
 平成元年度、情報処理科の誕生と合わせて近代的な制服採用は、皆野高校が地域に根ざした特色ある高等学校として、希望に満ちた一歩を強く踏み出す原動力となった。この年の入試倍率は、推薦入学・一般入学ともに極めて高く、在籍生徒数も700名を超えている。

新制服に使われた新たなデザインによる「エンブレム」と「ボタン」


男子・女子ともに制服生地やベスト、セーターなどはマイナーチェンジをしてきている。男子のベルト、女子のハイソックスも皆高エンブレムデザイン入りの指定のものでした。

皆野高校の校章(その11)皆野町内の学校校章

昨日・一昨日と、そもそも皆野高校校章の由来について掲載しました。
皆野町の町章と深い関係があるようです。

では、皆野町の他の学校の校章はどうなのか?
幼稚園1、小学校3、中学校1の計5校が存在しますので調べてみました(情報は、全てネット検索によります)。校名から各学校のHPへもリンクします。

皆野幼稚園(開園昭和48年、創立53年)

国神小学校
 開設は明治6年、金崎学校(長興寺)と大巻学校(薬王寺)から始まり153年目。平成14年度に日野沢小学校と、平成25年度に金沢小学校と統合し現在の国神小学校となりました。令和9年3月で閉校、4月から皆野小学校へ統合。
皆野中学校
 昭和38年度、皆野統合中学校設置(国神、日野沢、金沢中学校を統合)。暫定措置として国神中学校を本校、日野沢中学校及び金沢中学校を分教場。昭和39年度皆野、三沢中学校を統合、暫定措置として本校、皆野分教場、三沢分教場。昭和42年3月皆野分教場移転(←移転後の42年4月より45年8月まで皆野高校の校舎として使用した)。42年4月実質統合完了に伴い、校名を皆野中学校と改称、校章を定める。平成20年10月新校舎完成。皆野中学校HP 沿革へリンク。
 

 現在も皆野中学校内、1階職員室前で利用中の棚です。

 日付が書かれているのですが薄くて確認できません。
 大きく「皆野統合中学校 三沢分教場」と書かれています。 

 地域では、この当時は皆野中学校を「統合中学」と呼んでいたとのことです。
 

 
と、上記3校は町章及び皆野高校校章と同様に、3つの「ナ」の円を使用して図案化されています。

しかし、皆野小学校と三沢小学校の2校には町章のような3つの「ナ」は使われていませんでした。
皆野小学校(開校明治6年、創立153年)

三沢小学校(開校明治7年、設立152年)

三沢小学校の校章は、見ようによっては「ナ」にも見えますが。

 どの学校も伝統ある学校です。この各校の校章、3つの「ナ」について、さらに調べられたらと思います。

皆野高校は、町内のこの5校、さらに私立の明星保育園・国神保育園と様々な形で多くの連携・交流により充実した教育活動に取り組み、生徒たちを大きく成長させることができました。ありがとうございました。

(校章・完)

皆野高校の校章(その10)そもそもデザインは2

昨日掲載した、皆野町ホームページから抜粋した町の町章。
制定が昭和48年9月1日と記されているという件です。

早速ですが、解決しました。

検索結果、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「埼玉県の市町村章一覧」が掲載されていました(下記は一部抜粋画像です)。

 この情報によると、昭和48年9月1日というのは地方自治法に基づき町議会の議決により町章を決定・告示した日ということです。実際には昭和40年5月2日に制定され使用されていたとの記載です。
皆野町の町章は皆野高校開校1年前の制定。皆野高校開校と何か関係があったのでしょうか。引き続き皆野高校や他の学校の校章との関係を確認していければと思います。

皆野高校校旗
1期生の卒業式(昭和44年3月31日挙行)に向けて製作した校旗
(昭和43年度末完成)
令和8年4月8日、新・秩父高校開校式では壇上に掲げた。

(町内、幼小中学校の校章へ つづく)

皆野高校の校章(その9)そもそもデザインは!?

皆野高校、創立当初に定めて使用してきた学校を象徴するデザインの校章。この校章は、60年間、校旗、帽章、徽章、生徒手帳、身分証明書、学校発行の賞状、卒業証書など、様々な物・様々な時々に使用してきました。

そもそも、皆野高校の校章は、なぜこのデザインなのか!?
この皆野高校校章デザインについて、説明のある文章を見つけることはできていません。口伝として、一目瞭然ではありますが皆野町の町章をベースに定まられたと聞いています。【皆野町ホームページより → 町章】

上記は、皆野町ホームページから抜粋しました。皆野町の町章は、3つの「ナ」の円で「の」を囲み「みなの」を図案化し、円満な町の発展を表しているとホームページに記載されています。

ただし、ここで疑問が出てきます。
皆野町章の制定が、昭和48年9月1日と記されています。
皆野高校は昭和41年4月に開校し校章を定めています。いつ制定されたかという具体的な記述は見あたりませんが、創立2年目の昭和43年3月発行の生徒会誌には現在の校章が記載されています。

そうすると、町より皆野高校の制定が先ということになります。
今後、調べてみたい内容です。

昭和43年3月発行 秩父東高校 生徒会誌「凌雲」(上記)には、本校と分校の校舎、校章、校歌が並んで掲載されています。この生徒会誌編集委員長は、分校(皆野高校1期生)の田嶋光作先輩(3/7送辞を読んでいただいた)が、東高校本校の女子先輩方などから推薦されて務めた、ということです。

(つづく)

皆野高校の校章(その8)校舎外壁に掲げられた大校章

皆野高校の正門前で校舎を見上げれば目に入ってくる大校章。この大校章は創立30年目の平成7年に校舎に取り付けられ、校舎と一体になっています。

閉校舎となった現在も、正門の校名板は取り外されましたが、大校章は、東にそびえる美の山から昇る朝日を真正面に受けながら今も輝いています。卒業生からは、皆野高校ここにありの証と感じていただいています。

【設置当初の眩しい金色の校章】

【伝統を重ねた色となった校章】令和8年6月21日撮影


【令和7年度撮影】

設置されている校舎の大校章アップ画像です。直径93cm程です。

【令和8年6月19日撮影】

(つづく)