閉校舎後も、書き込みを継続してきました8/3。

毎日更新「輝く皆高」デイリーニュース

第3回皆野町歌声サロン ありがとうございました!

8月27日(木)第3回 皆野町歌声サロンが開催されました!

 

当日はあいにくの天候にもかかわらず、多くの町民のみなさまに足を運んでいただき、大盛況のうちに幕を閉じました。

 

また、今回の歌声サロンには、卒業生4名・皆野高校旧職員7名の計11名が参加し、受付業務や会場設営、楽器の演奏など、さまざまな形で歌声サロンに携わらせていただきました。卒業や異動に伴いそれぞれの道を歩んでいますが、このように再び集まることができる場所があることを、大変ありがく感じています。

 

参加された町民のみなさんからは、「楽しかった!」「元気が出た!」「寿命が延びた!また次も楽しみにしている」など、嬉しい声を沢山いただきました。1番の目標である「歌を通して 健康作り」にも,少しでも貢献できたのではないかと思います。

 

HP閉鎖に伴い詳細は割愛しますが、素晴らしい1日でした!

関係のみなさま、本当にありがとうございました!

 

♯生徒会

歌声サロン申し込み開始!

本日より、8月27日(木)に行われる「第3回皆野町歌声サロン」の申し込みがスタートしました。町民のみなさま、お誘い合わせの上ぜひご参加ください。
昨年開催された、第1回・第2回と同様に皆野高校旧職員・生徒も皆野町職員の佐々木さんと共に出演予定です!

申込先は皆野町社会福祉協議会(TEL:0494-62-4615)になります。8月20日〆切を予定しておりますが、定員になり次第募集を締め切らせていただくこともあります。ご了承ください。

 

♯生徒会

開発商品「みそぽてサブレ」この夏も活躍中

皆野高校商業科
商品開発に何度も取り組んで、生徒たちが考案した商品を世に送り出してきました。

令和4年度開発商品「なんちゃって!?みそぽてサブレ」が、閉校舎後も活躍しているのです。

教職員のための公益財団法人である「日本教育公務員弘済会埼玉支部」は、毎年会員である教職員を対象に「夏クイズ」と称してクイズに答えて賞品が当たるという取組を行っています。

今回、初めて専門高校や特別支援学校の生徒がつくった商品を含めたプレゼント企画を行うこととなりました。

このプレゼント企画「ワンダフル賞」に参加し提供する学校、13校のうちの1校に旧皆野高校「なんちゃって!?みそぽてサブレ」が選ばれたのです!

まだまだ元気な皆野高校です。
右の上から2番目に掲載されています。

拡大します。

亀沢屋 様 ご協力ありがとうございます。

共同募金会の啓発パネルに載りました!

昨年度行った「皆野町歌声サロン」の取り組みを、共同募金会の啓発パネルに取り上げていただきました。

 

歌声サロンは、主催の皆野町社協を通じて埼玉県共同募金会からもご支援いただいた行事でした。この度は「共同募金普及パネル」の一画に、皆野高校生の開会宣言の様子を取り上げていただきました。

 

今後は県内の各支会(社協)などで活用される予定です。

 

♯生徒会

8月になりましたが・・・

暑中お見舞い申し上げます。

HPファイナル月間、8月になりましたが・・・
掲載情報がありましたので「毎日更新」数日ですが継続となります。


皆高魂

永遠に

・・・

HP「皆野高校」から「みなこう会」へ

本日7月31日で、皆野高校ホームページ連続更新を終了予定です。

県教育委員会担当より、今年3月末で閉校舎となった6高校(八潮、和光、鳩山、岩槻北陵、浦和工業、皆野)の各ホームページは8月末を持って公開終了、との連絡によるものです。

閉校舎後の令和8年4月からも、皆野高校HPへ掲載できていなかった情報や新たな活動などを発信し続けて本日、連続更新1164日目となりました。

掲載記事数は、
令和5年度は366記事アップ(R5.5.25から連続更新が始まりました)
令和6年度は400記事アップ
令和7年度は416記事アップ、その後4月から7月まで125記事アップ。
(3月7日配付「皆高ファイナルに向けて3年間の取組記録」を参照してください)

以前からホームページによる情報発信を行ってきていましたが、現在のネットコモンズを利用したWebページ公開を始めたのが2015年(平成27年)4月1日。カウンターも本日(午後3時現在)、

「8,817,404」件を表示しています。
近年は、月20万件、1日1万件近いアクセスをいただいています。

来月には、皆野高校同窓会の再結成団体「皆野町高志會」(みなこう会)より新たなホームページを設置して皆野高校情報を含めて発信予定です。下記画像は、現時点のイメージ画像です。

ぜひ、楽しみにしてください。

同窓会で始めた配信専用LINEも継続利用します。LINEとHPから情報発信していきます。皆さまのご協力をお願いします。

なお「みなこう会」は、卒業生以外でも趣旨に御理解・御賛同いただける方は新入会員として迎えることが決まっています。

地域と共に皆野高校が60年間取り組んできた活動を、少しでも継続し、地域貢献できる団体として活動できるようにご協力をお願いします。

令和7年度58回目の卒業証書授与式

再度、卒業式の話題となります。今更の感もありますが、このホームページが終了するということで、卒業式の式辞を読みたいという要望が来ていました。この場で掲載させていただくことにしました。

司会より「式辞」のアナウンスがあり、壇上に上がらさせていただきました。本来であれば、式辞を取り出して述べさせていただくのですが。

どうしても伝えたい気持ち、当日朝、車で出勤途中に思いを巡らせているうちに涙が溢れ出てきました。さらにカーラジオから流れてくる「ちちぶエフエム」の放送、パーソナリティの山中さんが、皆野高校の卒業式について時間を割いて放送していただいていました。この時、式辞の前に一言伝えたい、と決断しました。式辞を取り出す前に、異例なのかもしれませんが校長としての想いを述べさせていただきました。

 

 式辞の前に、一言申し上げさせていただきます。24名の皆野高校アンカーズの皆さん、 本当に、ありがとう。 皆さんは、皆野高校60年間を締めくくるにあたり、最高の生徒たちでした。 本当に、ありがとう。

 

 式 辞
 季節は春、春めいてきたかと思うと寒さがぶり返す日々ですが、着実に春は近づいています。 本校校歌の2番は「美の山にいだかれ育ち」で始まります。本校正門の正面に聳える美の山。今週火曜日、秩父環境管理事務所様のご協力により、卒業生が美の山に卒業記念、閉校舎記念の植樹として、桜の木を山頂エントランス広場の中央、一番目に付く場所に記念植樹させていただきました。昨年度に続いての桜の植樹。生徒たちが植えた桜が綺麗に咲いてほしいと願い、新たな希望に向かっていく春を感じています。
 本日、埼玉県立皆野高等学校 第58回卒業証書授与式を挙行するにあたり、参議院議長 関口昌一様 議長秘書 関口恵太様、埼玉県議会議員 新井 豪 様、皆野町長 黒澤栄則様、また、本校PTA会長 横田昌弘様をはじめ、多数の御来賓の皆様の御臨席を賜り、厳粛のうちにも心温まる卒業式を執り行うことができますことは、教職員一同の大きな喜びであります。心から御礼申し上げます。
 只今、卒業証書を授与した24名の卒業生の皆さん、卒業おめでとう。皆さんは令和5年4月、皆野高校第58期生として入学しました。
 皆さんは、今までの入学生と違うことが一つありました。それは令和4年10月に県立高校の再編整備が公表され、最後の入学生になるということです。後輩が入学して来ないことが決まっていた、という事です。それでも中学時代には高校見学に来てくれて、皆野高校を自分の進路先として選んで入学してくれました。皆さんには、入学する上で、それぞれの想いがあったのではないかと思います。私も、校長として皆さんと一緒に皆野高校へ着任しました。皆さんとの入学式、皆野高校校長として最初で最後の入学式、今でもはっきり覚えています。令和5年度は、一年生から三年生までが揃う最後の年。私はラスト皆高と呼びました。三学年揃っての活動。資格取得や学校行事、部活動やボランティア活動など、よく頑張ってくれました。あれから三年、もう卒業なんですね。
 今年度、皆野高校最後の一年、皆さんには勢いがありました。県教育長からも、この勢いに対して直接お言葉をいただいています。他校ではなかなかできない自慢の取組ばかりでした。テレビや新聞、ネットなどでも多く取り上げていただきました。それは、卒業生の皆さんが、最後の最後まで、後輩がいなくても、みんなで力を合わせて、地域の皆さまと共に皆野高校を、皆野町を、秩父地域を盛り上げてくれたからなのです。夢は叶う。昨日の、みんなでのランチ、「ウー」ですね。夢を口にしたから実現したのです。ある意味、秩父地域の活性化の一つとして実現させた取組です。皆さんは、皆野高校の素晴らしいエピローグを作り上げてくれました。本日、校内や学校周辺、駅などに掲示された「卒業おめでとう」「なくならないよ、つながっていくんだ」の11種類のポスター、これらも皆さんが取り組んできた結果として、周りの方々からの素敵なプレゼントです。今回、今までにない位、地域の方々からのお祝い品が卒業生に届けられています。先輩方の取組をしっかり引継ぎ、さらに新たな取組に挑戦してきた皆さんへ、高い評価をいただいています。冒頭に私が述べた言葉は、私の気持ちであると共に、地域の多くの皆さんからの気持ちでもあると私は感じています。 生徒の皆さんに感謝、保護者の皆さん、教職員、地域の皆さんに感謝の気持ちで今、いっぱいです。そして、長い間私たちを見守ってくれた皆野高校の校舎にも、皆さんと共にお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。本来であれば、式辞のなかで、皆さんに餞の言葉を述べるべきかと思いますが、今まで事あるごとに皆さんには実践してほしいことを十分に伝えてきたと思っています。皆野高校の合言葉、挑戦することの意味、I CAN・I WILLなど。ひとつだけ、卒業生の皆さんが、社会へ歩み出すのにあたり伝えておきたい言葉があります。 それは「何どきも、いつでも、明るければ強し。人生、前向きに先入観を持つことなく これからも様々なチャレンジを、挑戦をしてください。希望あふれる人生に栄光あれ!」 です。
 次に、同窓生の皆さん、関係者の皆さんへお礼を申し上げます。 改めまして、本日ご列席いただいた事に感謝申し上げます。皆様方のおかげで卒業生も喜んでくれています。本当にありがとうございました。皆野高校は閉校舎となりますが、その魂は、今後も生き続けていきます。同窓会は新組織に再結成して存続します。引き続き、皆野高校が今まで取り組んできた地域連携や社会貢献などを繋いでいけるよう、共に進んで行きましょう。
 最後になりましたが、保護者の皆様にお祝いとお礼を申し上げます。お子様の御卒業、誠におめでとうございます。長い間の御苦労が実ったことに対し、心からお祝いを申し上げます。また、この三年間、特に今年度は、ひと学年のみということで、戸惑いを感じさせてしまった場面もあったかと思います。そのような状況下でも、本校の発展・充実のために温かい御支援・御協力を賜りましたことに、厚く御礼を申し上げます。  終わりに、24名の卒業生の皆さん、本日まで育てていただいた保護者、お世話になった多くの方々に感謝し、次のステージに大きく羽ばたいてください。皆野高校の精神は永遠に不滅です。皆さんの、これからの大きな活躍を心から願いまして、式辞といたします。
 令和8年3月7日
               埼玉県立皆野高等学校長 浅見 和義


なお、校長式辞の一部は「切り抜き」されて「全国!中高生ニュース」TikTokで公開されています。25万5千アクセスをいただいています。

 校長式辞

8月14日(金)秩父音頭まつりへ参加します

7月18日の当ホームページに、
今年も「秩父音頭まつり」へエントリー
という記事を掲載しました。

16年前に初参加し、生徒会を中心に毎年参加してきた秩父音頭まつり。今年は、同窓会再結成団体「みなこう会」として流し踊りコンクールに参加します。参加予定者はエントリー時の31名から増えて、現在は35名での参加を予定しています。まだまだ参加希望者を募っています。揃っての練習はできていませんが、各自で練習を積んで当日みんなで楽しく真剣に踊りたいと思います。

先日、まつり実行委員会から連絡が届き、順番が決定しました。
観光協会のホームページから公表されています
みなこう会のスタートは19時過ぎとなる予定です。
ぜひ、一緒に参加してください!

さらに卒業式に、
LINEヤフー株式会社が卒業生のために製作し、街中に掲示していただいた11種類のポスター
当日のまつり会場に数枚だけでも展示して、地域の皆様に見ていただけるよう検討をお願いしています。
 
皆野高校・奮励のハッピ15枚が出てきました。
このハッピと色とりどりの60周年Tシャツを着用して参加します。

10年前の話題

昨日の「創立当初の話題」に続き、
今回は、10年前の「50周年記念事業」開催の翌年、平成28年度の話題です。

50周年記念式典は平成27年10月に挙式、
「皆野高校、60年、70年、そして100年と頑張っていきましょう」などの挨拶が多くありました。

その翌年のプリント資料が見つかりました。
生徒募集のために、学校案内などの資料と共に各中学校ごとに配布した皆野高校PR資料の一部です。

地域との交流関係・卒業後に向けた進路指導関係・授業に関する関係など、何と11もの事業に取り組んでいました。
上記データです→ 創立60年に向けて(H28年度資料).pdf

この資料の裏面には新聞記事が掲載。
奇しくも、10年前の熊本地震へ、生徒会による募金活動や義援金に関する記事なども掲載されていました。

上記の裏面掲載新聞記事データをご覧ください.pdf・・・デコボコ貼付資料ですが!

創立当初の話題

2つの創立当初の資料を紹介します。

1つ目
昭和42年度 秩父東高校の学校について記載された資料「学校要覧」に記載されている学校所在地図です。

左上には校章
右上には「皆野分校」との記載。
創立2年目から、現在の皆野町役場の場所に校舎がありました。

中央付近、大野原駅の右に「本校」と記載されています。
東高校の場所ですが、この場所へ校舎が新築され、昭和42年9月に移転して最後までこの地が学び舎でした。

下の方、秩父駅近くに「本校仮校舎」と記載されています。
秩父東高校は昭和40年4月創立ですが、最初は現在の秩父市文化体育センター隣にある広場に建てられていた原谷小学校の旧校舎を2年ほど使用していました。その後、昭和42年4月から地図に記載されている仮校舎、秩父第一小学校跡の校舎を1学期間のみ使用していました。皆野高校同様に、東高校も仮校舎を2回経験して、下宮地の新築校舎に移転することができたようです。

2つ目

秩父東高校新聞 第2号です。
生徒会後期役員決定の記事に分校であった皆野高校の生徒会長も写真入りで掲載されています。

皆野高校の生徒会としては、
創立した昭和41年度、1年生のみでしたので東高校本校と連携した活動を行っており、後期に新聞に掲載されている保泉さんが1年生でしたが副会長になっています。
 42年度になり、2学年体制の下で、東高校の本校生徒会、分校生徒会と独立し、最初の生徒会長は夏目さん、後期の第2代生徒会長が保泉さんという記録が残っています。
(ひともとパン屋の広告・・懐かしいと感じる方も多いのでは!?)

関東地区高等学校PTA連合会大会で表彰を受けました

皆野高校 第41代PTA会長 横田昌弘 氏。最後の令和5年度から7年までの3年間、会長を務めていただきました。特に令和7年度はPTA会則を一部変更して会長職を継続していただいています。このファイナルイヤー、閉校舎に伴い例年以上に様々な活動に取り組んでいただき、さらに埼玉県全体の生徒指導委員会の委員長としても様々な会議などに出席いただき活躍されました。
 これらの功績により、7月3日に開催された 令和8年度関東地区高等学校PTA連合会大会群馬大会 で表彰を受けました。代理受領をお願いしていましたが、この表彰状が届きましたので、7月25日に昨年度の校長から横田会長へ代理授与をさせていただきました。

この日、関係職員やPTA・後援会から可能な方にも出席していただき、お祝いをさせていただきました。おめでとうございました、そしてお疲れ様でした。 

なお、横田会長は令和元年度に第37代PTA会長として1年間勤めていただき、その後は後援会長を令和2年度から3年間勤めていただいています。令和元年度からPTA会長、後援会長、そして再度PTA会長と、連続7年間会長職を歴任していただきました。ありがとうございました。

皆高セーラー服に関する書き込みについて(補足)

今年6月18日の書込。

「皆野高校の校章(その5)校章ボタンが呼んだセーラー服」について の補足記事となります(← リンクします)。

閉校舎が決まった後、皆野高校 昭和時代の制服「セーラー服」を探し続け、多くの方に声掛けしてきましたが、なかなか見つかりませんでした。ようやく「見つかった」という主旨の掲載でした。

途中、見つからないまま令和7年10月25日(土)最後の秋桜祭。60年のあゆみ実行委員会ブースでは若い年代の先輩方が、写真を参考に見つからないでいたセーラー服を復元、展示や試着・記念撮影コーナーを現在の制服と共に実施しました。という内容の記載もありました。

この時の復元セーラー服の画像がなく、掲載できませんでしたが画像の提供がありました。 こちら左が復元セーラー服、右が出てきた実物です。素晴らしい完成度で復元していただいた事がわかると思いま。

 
実行委員会にも所属していただき、ご尽力いただいた先輩方です。

過去発行の同窓会会員名簿

 皆野高校の同窓会会員名簿は過去3度発行されています。

1度目は写真左、創立10周年の昭和50年5月発行。50ページに渡り、1期生より昭和50年3月卒業の7期生まで掲載された名簿です。写真右は、平成3年に3度目の発行(最後)となった名簿です。第1回卒業生より第23回卒業生(平成3年3月)まで収録した146ページの冊子です。(2度目発行の会員名簿は校長室保管中・詳細不明のため後日確認予定、発行は昭和55年3月)

この名簿には、卒業時に各クラスで選出された同窓会のクラス役員の記載もあります。最後の卒業生58期生まで同窓会クラス役員を決めて卒業しています。覚えているでしょうか! 同窓会は再結成され「みなこう会」となりましたが、同窓会の会員は、自動的に「みなこう会」の会員としても継続されています。ぜひ、クラス役員の方を中心に会の活動を盛り上げていただきたいと思います。自発的なご協力をよろしくお願いします。

【1号】

 【3号】

皆野高校周年行事テーマ

昨日の投稿では50周年記念事業でのテーマ「奮励」と、その書画額について掲載しました。

今回は、皆野高校60年間の記念事業について紹介します。

記念事業で記念誌を発行したのは、20周年・30周年・40周年・50周年・60周年時に計5回発行しています。県立図書館、県立総合教育センター、秩父市立図書館、皆野町の図書室に寄贈していますので閲覧可能です。

記念事業でのテーマは、
 20周年テーマ「感謝」
 ・畑 和 当時の県知事による揮毫の記念碑(体育館前に建立)

 30周年テーマ「環境」
 ・物心両面の教育環境を整えた(30周年記念誌より)

 40周年テーマ「創造」
 ・正門内側の壁面へ部活動栄光の記録と共に掲載

 50周年テーマ「奮励」
 ・正面玄関内に掲示

 60周年テーマ「和」
 ・60周年記念誌より
 

以上5回の記念誌を発行した記念事業以外も、
 昭和50年度に10周年記念事業、
 昭和55年度に15周年記念事業、
 平成13年度に35周年記念事業
と合計8回の記念事業を実施してきています。

 特に10周年記念事業における10周年記念式典開催日である昭和50年5月15日を、20周年記念の昭和61年度より開校記念日として変更しています(以前の開校記念日は秩父東高校と共に5月4日であった)。

50周年記念「奮励」額について

11年前の平成27年度、皆野高校は50周年を迎え記念事業を行いました。

50周年のテーマを「奮励」(ふんれい)としました。チーム皆野高校として団結し一丸となり全員の気持ちとして、この記念事業を機に改めて気力をふるい起こして取り組んでいこうと、この言葉に決まりました。生徒組織も生徒会以外に「チーム奮励」を組織し、生徒たちが学校を盛り上げようと様々な取組にチャレンジしました。奮励の文字入り法被もPTAにより制作、寄贈していただき生徒たちが着用して活躍してくれました。

このテーマ「奮励」という言葉を、第15代持田校長が揮毫し額に収めました。学校正面玄関を入ると圧倒的な存在感で10年間展示して来校者に見ていただいていました。

この額を閉校舎に伴いどのように扱うか。関係者とも相談し検討しました。秩父市に持っていくのでなく、皆野町に置きたい、ということを考え、皆野町にも相談しました。この結果、皆野町教育委員会の了解のもとで皆野中学校へ贈呈させていただくこととなりました。

大変大きな額ですので、中学校としても業者に依頼して設置・展示することになり、先日、皆野中学校1階、校長室前に展示されました(下記写真)。

皆野高校レガシーの1つが皆野中学校へ引き継がれた、ともいえるものと感じています。

今年度2学期には、この書を揮毫した皆野高校第15代校長の持田賢一先生が、皆野中学校全校生徒に対して、この額と奮励についての説明をする機会を設けていただく予定です。

昨年3月に開催した持田先生の作品展紹介へリンク

みなこう会 初事業「清掃美化活動」ミニクリーンキャンペーン

7月22日(水)役員会開始前の午後5時30分みなのLABOに集合し、ミニクリーンキャンペーンに取り組みました。
 みなこう会初事業として県主催「彩の国ロードサポート事業」の登録団体となり、旧皆野高校前から長生荘前を経て、みなのLABOまでの道路清掃美化活動を役員中心の7名で取り組みました。担当の秩父県土整備事務所からは清掃ボランティア用ビブスや帽子、軍手などを提供していただき、猛暑日の暑い日でしたが約50分間、清掃活動をしました。

タバコの吸い殻や紙くずもありましたが、歩道のいたるところに雑草などが多くありました。今回は草むしりがメインとなりましたが、歩道を歩きやすい状態にすることができました。

 次回の実施は、みなこう会総会の開催日、8月21日(金)総会開会前の午後5時30分「みなのLABO」集合で40~50分間程度で実施します。草むしりの道具が準備できる方は軍手やゴミ入れの袋などもご持参いただけると助かります。
 次回は、多くの会員の皆さまと一緒にボランティア活動に取り組むことができればと思います。ご参加をお願いします。


皆野高校 最後のクリーンキャンペーンへ 令和7年11月6日実施

皆野高校JRC部 彩の国ロードサポート事業へ

みなこう会 役員会を開催

7月22日(水)午後6時30分より、皆野町大渕「みなのLABO」(みなこう会事務局)を会場に役員会を開催しました。

3月7日(土)卒業式後に開催した同窓会臨時総会で協議され、承認を受けた同窓会再結成団体の役員会です。関係者の皆さまは、ご承知かと思いますが、再結成団体「皆野町高志會」(通称:みなこう会)の第1次役員会です。会長以下9名の役員が参加し約1時間半、慎重審議し総会に向けて協議等を行いました。下記写真は、新たなホームページ制作に向けて意見交換をしている様子です(この皆野高校ホームページは8月末を持って閉鎖予定と県から連絡が来ています)。

みなこう会の総会は、8月21日(金)午後6時30分より「みなのLABO」を会場に開催します。多くの会員の参加をお願いします。なお、参加の事前申込は不要です。

頑張る!新校

新校・秩父高校の話題が様々なところで取り上げられています。

〇 埼玉新聞 7月3日
「令和9年度 高校入試対策特集」記事より一部抜粋


 

〇「高校受験ナビ」には皆野高校も何度も取り上げていただいてきました。
7月21日掲載 今回の記事へリンクします。
 


〇 秩父おもてなし観光公社のFBでも!(7月15日掲載)

高校生は学生カバンを持って登校

6月15日、当HPデイリーニュースで、
創立当初の記事を掲載しました。
学生カバンについても触れています。

学生服・セーラー服の昭和時代の振り返りです。

今回、昭和54年3月卒業生(11期生)から写真データ付きで連絡が入りました。
高校時代の学生カバンが出てきた!と。

これです。
(表面)

(裏面と横から)

懐かしい!!

つぶしましたね~
はやりましたね~
と、昭和の先輩方からは聞こえてきそうです。

このカバンを持って男子は「ボンタン」ズボンに、ほそ~いベルト、リーゼントヘアーも多かった時代。女子は足のくるぶしまである「なが~いスカート」にパーマヘアー(聖子ちゃんカットなどで)とか!!

こんな話題が4月27日のイベント、大同窓会では聞かれていました。
閉校舎は残念ですが、懐かしい素敵な思い出、我が学び舎での回想がたくさんできた方も多かったようです。

ちなみに、当時の服装規定(一部抜粋・20周年記念誌より) 昭和59年度改訂
最後の方に、カバン等の規定も!



この59年度の改訂、生徒たちが、ある意味勝ち取った改訂なのです。
スポーツバックは認められていなかったのを、昭和56年頃から話題にして約3年がかりで認めてもらったのです。
当時、マジソンバックが高校生に大人気でした。

イベントでの配付麦茶の紹介

 昨年、令和7年4月27日、10月25日と皆野高校ファイナルイヤーでのイベント開催。
    最後1年間、卒業生をはじめ、多くの関係者に皆野高校に来校していただこう、そして最後の卒業式で最後の卒業生に寂しい思いをさせないような卒業式にしてあげよう。
 そんな想いで「60年のあゆみ実行委員会」を中心に企画・運営した、このイベントで参加者の皆さまへ配付した飲み物の紹介です。

 この機会に、秩父のものを食していただきたい、と新井武平商店から提供していただき資料などと共にお配りしました。
 詳細は下記10月25日に同封した説明文をご覧ください(4月27日にも同様主旨の説明文を配布しています)。

R71025麦茶の話.pdf

このゴム印は!

このゴム印、皆野高校60年の歴史の中で2年間だけ使われていました。

閉校舎による校長室の片付けをしていると、このゴム印が大切にしまわれていましたので紹介します。

平成28・29年度の2年間、第19代校長の青木孝夫先生の時代に使われていたものです。皆野高校49期生~52期生の4代に渡っての取組です。

校長先生として着任されてすぐ、秩父市内のハンコ屋さんへ行き制作依頼したものです。何のために!?

青木先生は生徒の頑張りを事あるごとに校長として褒め称えたい、というおもいで生徒の頑張りをその都度ごとに「ハガキ表彰」として生徒個人宅宛てに郵送されていました。ハガキに生徒の功績を称える文書を記し、さらにその功績に関わる偉人の名言を加えて郵送していました。このハガキに平成27年度「50周年記念事業」のテーマ『奮励』のゴム印とホッケー部の合言葉「Do Your Best」のゴム印を使い分けて押印してハガキ表彰を2年間私費で行いました。例えば学校行事で中心になって頑張った、地域ボランティアへ参加した、チョットした良い事をした、などなどです。

当時の生徒数は、全校で182名、152名という年度です。
全員の生徒が、この「ハガキ表彰」を受け取っていたと思います。多い生徒は、束になるほど郵送されてきて自慢していました。嬉しかったようです。自宅への郵送ですので保護者も手に取ります。今でも、この時代の保護者からは話題にのぼる取組です。夜な夜な机に向かって、国神郵便局から大量に切手を購入され発送されていました。

第19代 青木孝夫校長先生は、3月7日(土)皆野高校閉校舎式で、歴代校長代表として壇上からご挨拶をいただいています。県立高校の校長経験は本校のみです。本校校長から異動した先は、埼玉県教育局です。異動され定年までの7年間もの長期間に渡り教育委員会の要職を歴任され、最後は県立学校全体の責任者である「県立学校部長」を務められました。皆野高校自慢の校長先生です。本年度からは、教育者としての力量を抜擢され「東京成徳大学深谷中学校・高等学校」校長として着任されています。

なんと、4月1日から学校HP内の学校案内「校長室より」ほぼ毎日、校長からのメッセージが書き込まれています。(←勝手にリンクしています)

当時の卒業生! 機会があれば「ハガキ表彰」見せてください!

最後の卒業式前にお手紙をいただいていました

3月7日の卒業式前、アンカーズ全員宛てに地域の皆さま方から個人的に多くのお祝いの品が届きました。

こんな学校は、少ないと思います。

「卒業おめでとう」「最後まで頑張ったね」と、お菓子やら筆記用具やら、最後の卒業生が地域の皆さま方に受け入れていただいていた1つの証のようにも感じました。

お手紙をつけていただいた方もおります。ご本人の了解のもと公開させていただきます。この方は、以前にも手作り小物などを生徒への御礼ということで贈呈していただいた事もありました。地域連携によるご縁により、ご夫婦で皆高先輩方の時代からの皆野高校との繋がりや感謝のお話を集会でいただいています。門松配付の時は毎年来ていただいていた方です。写真も同封されていました。

今年も「秩父音頭まつり」へエントリー

皆野町のビッグイベント「秩父音頭まつり」
秩父音頭発祥の地。多くの露店が出店、打上花火など賑やかなお祭りです。

皆野町役場おまつり広場に櫓を立て、秩父音頭やCーDANCEの「流し踊りコンクール」も実施されます。

皆野高校生徒たちは、生徒会や部活動生徒が中心に平成22年8月から毎年参加してきました。

昨年の音頭まつりへの参加
TBSテレビで放送(TikTokで配信中)

 「閉校舎となりましたが、今年も続けて参加しよう!」

 この声掛けのもとで、今年も8月14日(金)開催の秩父音頭まつり「流し踊りコンクール」へ「みなこう会」としてエントリーを完了しました。

急遽の発想で、実行委員などを中心に声掛けして卒業生、旧職員のうち参加できる方を募りました。ぜひ、参加していただける方は連絡をお待ちしております。練習会などはできませんので、当日みんなで参加して、お祭りを少しですが盛り上げられるように、皆野高校で取り組んできたことを継続できればと思います。

皆野町観光協会へ 秩父音頭まつり「花火・流し踊り募集」へリンク

参加予定の方へ・・・音頭まつり実行委員会より、出場順や時間等の詳細がわかりましたら連絡をまわします。お待ちください。

秩父警察署に皆高が!

本日で令和8年度の1学期が終了となります。
昨年度の1学期は皆野高校生徒だち、地域貢献で活躍してくれました。

今年度も・・・

 埼玉県警察 秩父警察署の正面入り口から入って、すぐに免許更新等の手続きを行う場所があります。そこの書類等を記入する場所の模様替えがありました。

そこには、なんと・・・!?

皆野高校ファイナルイヤーの令和7年4月4日に「春の全国交通安全運動出発式」で生徒が使用した手作りボードを現在、展示していただいています!!


【皆野高校の取組紹介ボード】

そして、「さ」「し」

「す」「せ」「そ」

安全運転を続けるための「さ・し・す・せ・そ」とは。
高齢者の交通事故防止のポイント【ドライバー編】 ←県警へリンクします

このボードについて知らない方は、下記のリンクからご覧ください。

【本日!】春の全国交通安全運動出発式に参加します!(R7.4.4書込)


春の全国交通安全運動出発式に参加しました!(R7.4.9書込)


春の全国交通安全運動出発式②(R7.4.10書込)


秩父警察署で交通安全啓発活動を行いました(R7.5.26書込)
 この後、令和7年6月から10月まで秩父警察署へ皆高ボードを展示していただいておりました。
 が、皆野高校文化祭での展示のため、10月に学校へ戻していただきました。

そして10月の皆野高校最後の文化祭!
秩父警察署のみなさんにもご協力いただき皆高文化祭でブース出展。参加していただきました。
”交通安全キャンペーン”として、パトカーと白バイを正門入ってすぐの場所に展示、乗車体験なども。豪華景品(自転車用ヘルメット)の当たる交通安全クイズなど、小さなお子さんから大人まで大興奮のコーナーとなりました。他の地域の皆さまの多くのブース出展と共に参加していただきました。大変お世話になりました。

そして、閉校舎に伴い、このボードを再度使っていただけるとのことで警察署に戻しました。
 今回再度、皆野高校ボードを秩父警察署で使用していただいております。ありがとうございます。
 皆さまが交通事故にあわないよう、おこさないよう、皆高手作りボードが地域の皆さまに訴えていると思います。 

皆野高校「思いの木」

皆野高校ファイナルイヤー令和7年度
三大イベントとして計画をして、この3イベントを核に地域の方々とも連携して様々な取り組みを開催してきました。

1 4月27日(日)おかえりなさい!皆高生8,250名~今から始まるファイナルイヤー~

2 10月25日(土)皆野高校60周年記念式典、第58回秋桜祭(文化祭)、MINANOスカイランタンフェス

3 3月7日(土)第58回卒業証書授与式、閉校舎イベント・閉校舎式

 これらの取組の中で、4月27日と10月25日のイベントでは来校された皆さんが、皆野高校への思い出や想いを書いて貼り付ける「思いの木」というコーナーを設けました。多くの方が思い思いのコメントを書いていただきました。
【4月27日の様子】

この「思いの木」に貼られたコメントを抜き出してHPで紹介しようと考えていましたが、数も多く途中まで書き出したまま時間切れの閉校舎となってしまいました。この「思いの木」は保管されていると思います。

今さらながら、皆さんのコメント模造紙1/5を掲載します。

【イベント終了後 HR棟2階廊下に掲示しました】
 職員室側の1枚の模造紙に貼られていた39の思いを抜き出していました!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

みなさんハッピーな大人になってね / バレー部、最高ありがとう / 良い事、悪い事、この学校だから全部思い出になった / 人生をデザイン中 / 1番の思い出は部室棟から体育館の2階へ入って勝手にバスケをしたことです! / 皆高ラストイヤー楽しもうぜ / 卒業おめでとうございます / 皆高楽しかった一番の思い出 / 皆高最高 / 思い出いっぱい! / 皆高イベント開催ありがとうございます / Big Love / 3年間ありがとうございました!さみしくなるけど・・・ / 笑顔が一番 / 皆高大好き、楽しい日々をありがとう / 兄弟4人お世話になりました、皆高ありがとう / がんばれ皆高 / 高校生活は青春でした / 生きているうちになくなると思わなかった / とてもさびしい / 皆野高校が終わってもみんなのストーリーはつづきます。残り300日ぜひともかみしめてください /ありがとう / 楽しい思い出をどうもありがとう / ありがとう楽しかったです /  Love皆野高校ありがとう / 皆野高校ありがと / 皆高ありがとう、だいすきでした / 皆高ありがと、楽しい思い出しかありません / 皆高ありがとう! / 皆高楽しかった、ありがとう / 皆高最高、今までありがと! / 皆高ありがとう!とても楽しかった! / 皆高ありがとう!久々に来られて楽しかったです! / ありがとう皆高! / 皆野高校今までありがとう、おつかれさま / 楽しい思い出がつまった学校、ありがとう! / 楽しかった皆高ありがとう!忘れない! / 思い出の一時をありがとう / 青春をありがとう /

卒業式の花道アーチ

令和8年3月7日(土)卒業式

既に4か月以上が経過していますが、この日の丸秘情報をお伝えします。

最後の卒業式、在校生に代わり多くの一般来賓の方々に御臨席いただき、1時間を超える式となりました。
式の最後、司会から「卒業生退場」のコールとともに立ち上がったのは教職員や一般来賓(同窓生など)の皆さん。体育館後方へ準備していた造り花を手に持って中央通路へ。花の本数は30本。皆野高校60年間を締めくくるべく、式に参加していただいた方々のうち60人程が協力して体育館内の中央通路、赤じゅうたんに卒業生退場の花道をつくりました。

この花道、たぶん皆野高校最初で最後の体育館内での花道アーチ。
この様子はテレビや新聞、ネット上でも多く取り上げていただいており、目にしていただいた方もいらっしゃるのでなないかと思います。

この花道アーチが実行できた経緯は!

それは、令和7年5月25日(日)天皇陛下御臨席を仰ぎ秩父ミューズパークで開催された第75回全国植樹祭なのです。

この全国植樹祭、皆野高校が閉校舎となる年度の開催ということで、今回の卒業生が1年時の令和5年から取り組んだ「苗木のスクールステイ」での協力から始まります。

全国植樹祭で植樹された苗木を本校生徒も育てさせていただき、当日は天皇陛下の目の前での式典アシスタントとしても活躍しました。

さらに秩父市街地では全国植樹祭関連イベントが行われており、本校開発商品「なんちゃって!?みそぽてサブレ」の販売実習にも取り組みました

そして、市街地で行われた全国植樹祭関連イベントのメインは、

秩父神社への天皇陛下御視察に際する沿道での奉送迎や、「全国植樹祭秩父市記念事業 秩父祭・川瀬祭 笠鉾・屋台特別公開」の開催。多くの市民、観光客で大変な賑わいでした。

全国植樹祭が秩父ミューズパークで開催されることを記念して、秩父祭と秩父川瀬祭の笠鉾・屋台が特別公開されました。
過去には例のない、7月夏の川瀬祭と12月冬の秩父祭それぞれで曳き廻される笠鉾・屋台を5月25日に同日公開。さらに、普段は三層の笠を付けずに屋型のみで曳き廻されている “中近笠鉾” と “下郷笠鉾”が本来の姿で公開したのです。

【中近笠鉾を御視察される天皇陛下】

【笠を付ける前の中近笠鉾、手前には設置前の笠が置いてあります】

前置きが長くなりましたが、
この、全国植樹祭関連イベントとして秩父神社境内で天皇陛下にご覧いただいた「秩父夜祭 一番組 中近笠鉾」の三層の笠につけられて曳行された造り花。イベント終了後、この栄誉ある花を、ぜひ皆野高校の卒業式で花道アーチとして使わさせてほしいと保存会長様にお願いし、許可を得て皆野高校で保管していました。

このような経緯で、卒業式での花道アーチが実現しました。
この造り花の制作には、皆野高校の卒業生も含まれています。

卒業式に花を添えていただいた関係者の皆さまに感謝いたします。ありがとうございました。

生徒会誌「みのやま」掲載の進路情報

  ファイナルイヤー60年目。60周年及び統合という記念に制作した60周年記念誌「60年のあゆみ」(箱付き、ハードカバーで180頁+巻頭カラーグラビア24頁)。この記念誌編集、60年間を振り返るにあたり生徒会誌「みのやま」も全号確認しました。年代によって雰囲気の違いを感じながらの確認でした。


 令和7年度のある日、アンカーズ生徒の1人から質問がありました。

「皆野高校の先輩方は、過去どんな大学に進学しているのですか?」
 この質問に、なるべく正しくこたえようと生徒会誌「みのやま」に記載されている卒業生の進路状況コーナーを確認しました。
 残念ながら、19期生が3年生であった昭和62年3月以前に発行された生徒会誌には進路について記載されているページはありませんでした。その後でも記載されていない年度がありました。

「皆野高校の先輩方は、過去どんな大学に進学しているのですか?」
記載されている大学をピックアップしました。漏れはあるかもしれません。先生方から記載されていない大学へ進学した生徒もいるという情報の元で追加もして一覧表を制作しました。この大学情報は、最後の文化祭でも校内放送を使って流しています。

改めて公開します(50音順に並びなおしています)。
下記掲載一覧表はPDFでダウンロードも可能です。
皆野高校4年制大学進学一覧.pdf

なお、この質問してきた生徒の進路先は・・・。

4年制大学への進学希望です。
本校には、ビジネス系を中心に幅広く学校推薦による大学進学への道はあります。しかし、この生徒は推薦でなく一般受験を希望し、猛烈に受験勉強へ取り組みました。志望校も上記に含まれていない大学です。 

結果は「桜散る」でした。
過去、一般受験に挑戦して大学進学を目指した生徒は何人くらいいたのでしょうか。詳細は分かりませんが、アンカーズには受験により大学進学を目指す生徒がいました。現在、進学準備として俗にいう浪人して来年度の入学を目指し、受験勉強の日々を送っているかと思います。

生徒会誌「みのやま」最終号の発行

皆野高校生徒会誌「みのやま」。
昭和46年3月発行の創刊号から始まり、ファイナルイヤー昨年度の令和8年3月に第56号の最終号を発行することができました。

2月15日に書き込まさせていただいた、平成19年度(20年3月発行)第38号についてお願い していましたが、無事に全号が揃いました。

最終号の内容は、生徒に関わるものや生徒全員からのコメント、加えて先生方全員からのコメント、卒業生の在籍教員の思い出話しなど、最後の生徒会誌の内容も充実したものになりました。関係の生徒・教職員の皆さま、編集・発行等たいへんお疲れさまでした。

 なお、皆野高校の生徒会誌「みのやま」は、創立5年目の昭和45年度に創刊号が発行されましたが、それ以前、秩父東高校皆野分校時代にも東高校本校生徒と皆野分校生徒で生徒会誌を制作・発行しています。
 秩父東高校生徒会誌名は「凌雲」。創刊は、東高校創立3年目、皆野分校2年目となる昭和42年度です。なんと、この編集委員長は皆野分校の先輩が東高校の女子生徒からも推薦されて委員長となって活動に取り組んだ、ということです。翌43年度は東高校は県立高校となり、皆野分校は東高校から分離独立し、組合立皆野高校となったため皆野高校の生徒が「凌雲」の発行に関わったのは42年度の1年のみとなります。
 秩父東高校の生徒会誌の最後の発行は、東高校が秩父農工と統合する年の2年前、3学年が揃っている年が最終号となっています。よって、皆野高校の創立3年目・4年目は生徒会誌は発行されていません。創刊号には、独立し単独高としての生徒会も軌道に乗り念願の生徒会誌を発行できる機運が高まった、という趣旨で記載されています。

皆野高校のテレビ出演

特にファイナルイヤーの皆野高校は、メディアで多く取り扱っていただくなど注目度は他校の先生方からも話題にしていただいています。

昨日、一昨日と掲載した全国ロードショーの映画に、皆野高校をロケ地として丸2日間、収録地の一つとなり公開された映画を筆頭に、テレビ取材なども多く受けさせていただきました。

テレビで取り上げていただいた放送で当HPに過去掲載したページ等へリンクします。ご覧ください。

令和5年度
6月23日(日)日本テレビ日曜・昼12時45分~2時までのトークバラエティ番組
「超無敵クラス」(現在は番組終了)30分特集番組出演

令和7年度
4月27日(日)テレ玉・ウイークエンドニュース
 おかえりなさい!皆高生8,250名~今から始まるファイナルイヤー~
 最後の年の最初のイベント
 この取組にテレ玉はじめ7社の取材が入りました (リンク先ページの後半に掲載)
 これらの報道がさらなる取材を生んでいくこととなります。

◎5月14日(水)テレ玉・マチコミ
 高校生応援企画『♯アオハルのむこうがわ』
 特集番組「皆高発→秩鉄行 青春ポスタープロジェクト」
(リンク)

◎5月26日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 1回目の放送 地域連携に取り組む
(TikTokへリンク)

5月30日(金)テレ玉・ニュース1155
         テレ玉・ニュース530
         テレ玉・ニュース930
 「最後の体育祭」地域と連携した

◎6月16日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 2回目の放送 最後の体育祭
(TikTokへリンク)

◎8月25日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 3回目の放送 秩父音頭まつり
(TikTokへリンク)

◎11月10日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 4回目の放送 文化祭
(TikTokへリンク)

◎11月24日(月・祝)テレ玉・ニュース530
             テレ玉・ニュース930
  SL皆高エクスプレスTHE FINAL運行

◎12月20日(土)日本テレビ「笑ってコラえて!」
 超豪華人気者がいく!ダーツ祭り!
 広瀬アリスが高校に突撃。校内放送!?高校生の恋の悩みに向き合う!

◎2月17日(火)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 5回目の放送 大掃除
(TikTokへリンク)

◎3月5日(木)フジテレビ「ミュージックジェネレーション」
 予告(3/4書込) と 当日放送の様子(5/24書込)

 GENERATIONS from EXILE TRIBEメンバー 小森 隼さん2日間来校し収録

◎3月16日(月)TBSテレビ「THE TIME,」全国!中高生ニュース
 6回目の放送 最後の卒業式
(TikTokへリンク)

◎3月18日(水)テレ玉・マチコミ 特集番組
 「ありがとう学び舎・閉校舎イベント」 

◎3月18日(水)NHK首都圏ニュース
 最後の卒業式
 1回目

◎3月26日(木)NHKおはよう日本(全国放送)
 最後の卒業式 2回目

◎3月27日(金)NHKチコちゃんに叱られる
 人はなぜ合唱するのか(・・・こちらからも)

◎3月31日(火)NHKおはよう首都圏
 最後の卒業式 3回目

 この他にも大手テレビ、キー局から3つの番組で取材や特集番組の問い合わせが入っていました。実際にディレクターさんが何度か皆野高校に来校し生徒と打ち合わせまで実施したものもあります。残念ながら実現までこぎつけられませんでしたが、皆野高校の取組に対して注目いただき、結果として取材申し込みや取材問い合わせを多数いただいたことに感謝です。

テレビ、新聞、ラジオ、ネット(ニュース、インスタ、YouTube、TikTok、X、FBなど)でファイナル皆高を取り上げていただきました。生徒たちも、皆野町を歩いていると「おっ! 〇〇君、テレビで見たよ」とか「頑張れ!」などと声をかけていただいたと学校で報告してくれました。
  


映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」ご存じでしょうか!(2)

吉永小百合さん主演、令和7年10月31日公開映画、
「てっぺんの向こうにあなたがいる」
この映画の収録地に皆野高校が選ばれたのはご存じでしょうか!?

昨日に引き続いて掲載します。

ロケ1日目の様子 (昨日のリンクと同じものです)

ロケ地として選んでいただき、その後何度も担当の方とのメール連絡、校内視察、打ち合わせなどに来校され、教頭が対応させていただきました。

ロケ場所も、正門前の坂をバイクで登ってきて正門を入り玄関前でバイクを降りるシーンでは、正門の校名板も福島県立〇〇高校と上から付けたりと様々な細かい設営がされていました。

校長室のシーンでは、部屋の備品類もほぼ搬出し模様替えして校長机の位置も変更。俳優さんの校長先生も登場して撮影。ここも大掛かりでした。教室のシーンは予告編動画にも入っていました。トイレでも撮影。皆野高校以外でも町内で撮影があったようです。

映画のエンドロールでも、
「ロケ地」埼玉県立皆野高等学校
という記載を見ることができます。
劇場用パンフレットにも記載されています。


【右側の白本、参考にいただいた台本です。】


予告編の動画から抜粋画像。
この、キノフィルムズのWebページ予告編から下記を見られます。

【正門入って玄関前のシーン】

【教室でのシーン】


皆野高校ホームページ、予告編紹介のページへ


この映画のロケ地として契約を結ぶときに、映画公開後に最後の皆野高校卒業生へ、この映画を鑑賞させてほしいというお願いをしていました。

 このお願いが令和8年1月30日、学年末考査最終日の午後に鑑賞会を実施することができました。 

この鑑賞会の様子を掲載しています。ご覧ください。

映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」ご存じでしょうか!(1)

吉永小百合さん主演、令和7年10月31日全国公開映画
「てっぺんの向こうにあなたがいる」
この映画の収録地に皆野高校が選ばれたのはご存じでしょうか!?

昨年10月、全国の映画館で一斉公開され、ユナイテッド・シネマ ウニクス秩父、熊谷・上里・入間など県内でも多くの映画館で鑑賞することができました。ご覧になられたでしょうか。ロケ地として、埼玉県内でも日高市の日和田山をはじめ多くの場所でロケが行われた映画です。世界レベルの映画祭でも上映され賞も受賞しています。

映画製作・配給会社は木下グループ、キノフィルムズです。皆野高校でロケが行われ、この様子についてホームページへの公開許可が、なかなか出なかったのですが、公開日2週間前に許可され当HPで公開 することができました。令和6年8月と9月の2日間に渡る大掛かりなロケでした。

最後、新宿での映画館で公開が終了し、DVDの販売も5月20日から開始されていますので、この皆野高校チョコット映画出演について掲載します。

最後の映画館上映情報
映画.com へリンク

学校の玄関には映画の大判ポスターを閉校舎まで掲示していました。

なぜ、ロケ地になったのか!?

 令和6年度当初、映画のロケ地として皆野高校を使わさせてほしい、との電話連絡。来校していただき説明を受けました。映画の詳細内容の説明はありませんでしたが、ノンフィクション映画であり実話に基づく映画で実際は福島県の高校が登場しますが、福島までロケに行くのは厳しいので、似た立地の高校を探しているとのこと。その高校は山の小高い丘の上に立つ高校。皆野高校のような高校であり、やっとの事で探すことができた、とのことでした。過去、映画の収録に使われたことなどないと思われます。ぜひ、使ってください、と言いたいところでしたが簡単に貸すというわけにはいきませんでした。県の施設であり、使用料をいただかなければならず、どこの場所で撮影し、スタッフは何人で、演者さんとの関係、使用料の計算方法を模索しましたが学校としても経験がなく複雑な内容、事務室も人数が少なく閉校舎に向けての業務などとも重なるため、厳しいという事となりました。それでも映画などのロケ地となっている県立高校にアドバイス・レクチャーいただき、使用料等の計算も可能いう事になりました。一度はお断りしていましたが、映画会社からも他には該当する高校が見つからないということで再度の依頼も来ていました。このような経過で、ロケ地として引き受けることとなりました。映画会社からは「ネタ晴れ」は絶対避けなければならないとのことで強く協力を求められました。本校からも条件を提示してロケ地としての契約を完了しました。

その上で、ロケ日、ロケ場所、俳優さんである演者さん、台本などを提供してもらい説明を受けてロケ日を迎えました。

(つづく)

本日、あめ薬師縁日

 秩父札所十三番・慈眼寺で毎年7月8日「あめ薬師縁日」が毎年開催されます。眼病平癒にご利益がある薬師如来を祀り、名物「ぶっかき飴」、周辺の東町通りに多くの露店が立ち並び夜まで賑わう縁日です。雨の降らない「あめ薬師」になりそうですね!

毎年、あめ薬師縁日で秩父地域振興センター主催「青少年非行防止キャンペーン」が実施されます。本日も午後、秩父地域の高校生や警察官、各市町村の教育委員会などの多くの団体の方々が、13番の周辺で青少年非行防止の呼びかけに参加されることと思います。

昨年度の皆野高校ホームページの書き込み

【昨年参加したアンカーズ】


追伸(R8.7.10)
 あめ薬師で高校生が配布した啓発用品を家族がいただいてきました。
皆さん、頑張っていたとのことでした!

第3回皆野町歌声サロン 開催決定!

昨年度より皆野町社協と皆野高校の協力で始まった「皆野町歌声サロン」が、今年も開催することが決まりました!

 

皆野町役場の佐々木さんはもちろん、皆野高校の旧職員・卒業生も参加予定です。歌うことによる”健康作り”はもちろん、音楽を通じて人と人との”繋がり”をとても感じることができるイベントです。

  

 昨年度に行われた第1回「初めての歌声サロン」、第2回「お別れの曲特集」どちらもとても心温まる歌声サロンとなり、大盛況でした。(第1回、第2回の様子は#生徒会のページから⇒こちら

 

皆野高校が統合した、今回の第3回。どのような歌声サロンになるのか!ぜひ町民のみなさま、関係者のみなさま、8月27日(木)は皆野町総合センターへ!お会いできるのを楽しみにしています。

 

※申し込み受付は8月の社協便り配布後から開始します。詳しい日にちは後日お知らせします。⇒8月3日受付開始予定です。

♯生徒会 

交通安全こども自転車大会

小学生の時、学校の校庭にお巡りさんが来てラインを引き、模擬道路や模擬横断歩道を書いて携帯信号機を持ち込んで自転車の乗り方の指導を受けた50年以上前の記憶があります。 これが自転車大会の練習だったのかもしれません。

今、秩父第一小学校の代表児童の自転車が凄いのです。
皆野高校生徒が昨年、秩父第一小学校へ自転車の挑戦に行きました。

昨年、皆高生が秩父第一小学校へ訪問時の様子

全国大会2連覇を成し遂げ、今年度も社会貢献などでも注目が凄かったのです。皆野高校を追いかけてくるように!?

NHKからも取材を受け!

昨年、皆野高校が取り組んだ「春の全国交通安全運動」、今年は第一小学校が!

さらには全日本交通安全協会から取材を受け4ページにわたり掲載!

そして今年度も、第58回 交通安全こども自転車埼玉県大会が開催されました。3連覇を目指して!

そして見事、県大会3連覇したと7月4日(土)大会当日に嬉しい連絡が入り写真も送られてきました。児童の皆さんおめでとうございます。

 チーム監督の岩田先生は皆野高校の旧職員です。コーチとして指導にあたった秩父警察署のお巡りさん、何度も皆野高校へ来ていただき交通安全指導だけでなく最後の文化祭にもブース出展もしていただいた方々です。交通安全ををはじめ様々な地域連携・地域貢献などを、さらに多くの学校で取り組んでいただくことを願っています。

 来月の全国大会でも3連覇を目指し、練習の成果を発揮して来てください。
ガンバレ埼玉県代表・秩父第一小学校!

皆野高校PTA・後援会(設立経緯)

昨日掲載したように、皆野高校PTA・後援会は令和8年3月7日(土)開催の臨時総会での決定により、その役目を終了しました。

この臨時総会冒頭で、A4版1枚両面刷り(2,692文字)の文書を配付しました。それは皆野高校・・・分校時代からのPTA・後援会の活動記録「皆野高校 PTA・後援会の設立経緯」と題した文書です。

 秩父東高校の分校時代から皆野高校設立に向けた、今では考えにくい程の激しいPTA・後援会による活動があり、秩父地域の1市4町5ケ村による組合立高校として開校・独立・県立となることができた、という記録を改めて記憶してもらい解散の決議をお願いしました。
【長文になりますが配付文書の内容、一部修正しています】


令和 8年 3月 7日 PTA・後援会臨時総会

皆野高校 PTA・後援会の設立経緯

昭和41年度より 分校として開校当初から東高校本校とともに活動開始

昭和41年度 昭和41年度開校。PTAは本校・分校の保護者が一丸となり第2代会長赤岩頼道氏を中心に組織を整備して大活動が始まった。当時の PTA活動の大目的は県立高校2校同時新設、即ち県立秩父東高校、県立皆野高校設置への運動である。秩父東高校PTAとして各地区に支部を設け、多数の役員をおき、毎週役員会を開き、支部会も頻繁に開かれた。秩父市に対しては校舎の増築・校地拡張の促進、皆野町には皆野高校校地の買収を要請し折衝を重ねた。ハガキによる陳情作戦や街頭署名運動も行い、署名を持ってバス3台を連ねて秩父郡市の首長と同道して埼玉県議会に対して県立2校の新設を請願した。さらに各地の県議会議員宅を訪問、県教育委員会にも陳情を繰り返し、全県下を飛びまわるなど極めて活発な活動を展開した。秩父郡市だけが飛びはなれて全日制高校の開門率が低い。そのため ①秩父の子供が高校教育の機会にめぐまれず、教育の機会均等の立場から非常なる差別を受けている ②秩父の市町村は高校進学への地区民の要望により乏しい財政にもかかわらず多大な財政を負担して組合を設置し、全日制秩父東高校を開設、県が行うべき高校教育を自ら行っており、そのため市町村財政の破綻さえ招きかねない状況であるということ、これらはまさに公平を欠く県政の所業であると訴えた。

昭和42年度 昭和42年に入り、秩父郡市の中学校PTA連合会にも呼び掛けて、この運動は秩父の子供たちのためのものであって、単に秩父東高校の県立移管運動ではないことを説いて、共に子供のために立ち上がることを求めたが理解を得られず、秩父東高校PTA単独で運動した。

県議会文教委員からは、2校同時の県立移管は県下の情勢からして無理であると指摘されており、仮に秩父東高校だけが県立移管した場合、県立の全日制高校では分校制度は教育委員会として認めていない。これ等の状況下で、皆野町では設楽町長を始め町議会や町の有識者の間で、一貫して皆野高校新設、秩父東高校からの分離独立、県立移管を想定し推進していた。

昭和42年夏、PTAは最後の決意を固め10月開催の埼玉国体開会式の会場において、次いで秩父の国体会場において陳情の行動を行う計画を立てた。「運動の進め方」なる諸計画を印刷公表した。実際に、当時の東高校長室に数十枚もの「むしろ旗」を運び込んで「むしろ旗」を立てるなどして天下に訴えようと計画し、国道299号を走る天皇陛下に訴える準備を進めていた。

国体開会式前々日、10月20日PTA役員20名で知事や教育委員長らと最終会見、秩父東高校を分離独立して秩父東高校及び皆野高校2校を43年3月中に県立とすることを求めた。議論の末「国体を平穏に開催させて欲しい、国体が終わったら処置の返答をする」との口約束を得た。むしろ旗による天皇陛下への訴えの計画は踏みとどまった。11月になり知事から「秩父郡市内に県立2校を同時に新設するのは県政全般から無理である。秩父東高校は43年3月に第1回卒業生が出る。皆野分校は44年3月でないと卒業生が出ない。まず秩父東高校を43年3月中に県立移管し、皆野分校は44年3月中に県立移管する。校地を早急に提供してもらいたい。なお、皆野分校は秩父東高校県立移管と同日、組合立皆野高校として独立する。これで我慢して欲しい」との案が示された。承認せざるを得ない案であった。皆野町でも止むを得ずこれを諒として期待を翌年につなぐこととし、差し当たって校地の選定を急務とすることとした。

独立校 皆野高等学校としてスタート(昭和43年3月30日)

昭和43年3月29日、秩父高等学校組合会議で埼玉県秩父東高等学校を廃止し、新たに埼玉県皆野高等学校設置の件が議決される。翌日3月30日、埼玉県立秩父東高等学校設置が公布され県立移管する。皆野分校は秩父東高校の県立移管と同日(3月30日)、組合立埼玉県皆野高等学校として校名を改称して分離独立、開校3年目の43年4月独立校としてスタートした。

組合立皆野高校として分離独立後の最初の入学生2クラス(3期生)、最終志願者数(昭和43年2月12日)は、男子商業科141名で入学試験を実施した(1.41倍)。3月に43年度入学許可候補者発表、男子商業科108名を入学許可候補者とした。

昭和43年度 4月1日秩父市外4町5ケ村組合立埼玉県皆野高等学校として発足。4月9日入学式男子108名(3期生)入学、2学級。初代校長は高田喜好校長(小鹿野高校教頭より)、教職員は20名。1年2クラス、2年3クラス、3年1クラス 全6学級、全校生徒309名の3学年揃ってスタート。草創期らしい変則的な編成である。

PTAは「秩父東・皆野高校PTA」と改称し、5月のPTA総会において皆野高校県立移管実行委員会を設置、皆野高校が県立移管するまで分校時代と同様に一緒に活動することとした。会長は赤岩頼道氏が留任、皆野高校からは多田守吉氏、杉浦武寿両氏が副会長となった。皆野高校県立移管実行委員会は、6月から12月まで会議が16回開催されている。PTA役員は、家業を投げうって連日運動を続け、この熱意が県にも例のない秩父東高校創立2年11ヶ月(昭和43年3月)で県立移管という偉業をなしとげたと言っても過言ではない。この後は皆野高校校地の獲得が主なる運動となり、地元皆野町長に早期校地の設定を訴えていく。後援会もPTAと同じ組織で発足している。

組合立皆野高等学校から県立皆野高等学校 (昭和43年度末~)

昭和44年3月30日、県議会に於いて組合立皆野高校の県立移管が議決。秩父市ほか4町5ケ村立秩父高等学校組合会議により埼玉県皆野高等学校廃止、3月31日埼玉県立皆野高等学校設置。ここに組合立高校が地元の根強い県立移管運動の結果、待望の県立移管となり同日、延ばしていた第1回卒業式が挙行され、卒業生全日制男子商業科47名、木造の講堂で質素ではあるが感動的な卒業式を挙行した。
 PTA・後援会も秩父東高校と分離。

昭和44年度 5月8日に設立総会を開き規約を定め「皆野高校PTA・後援会」が発足した。PTA会長に多田守吉氏、後援会長には皆野町長設楽徳之氏を選出。しかし、一本立ちしたPTA・後援会を待っていたのは苦しい財政問題であった。

その後は、数々の困難を乗り越え皆野高校の発展充実のためにPTA・後援会の存在は、学校運営の大きな支援となった。

PTA活動60年間、後援会活動58年間、令和5~7年度最後の横田昌弘PTA会長(第42代)、田島晴子後援会長(第16代)まで精力的に活動を続けた。


最後のPTA・後援会研修バス旅行(令和5年度)

令和5年11月18日 掘削中の大滝トンネル 及び山梨方面へ

皆野高校のPTA・後援会(最後のPTAだより「さえずり」発行)

皆野高校の同窓会は再結成し、その活動を継続していきます。

PTA・後援会は閉校舎により、その役目を終えて活動を終了し令和8年3月7日(土)卒業式終了後、総合実践室で臨時総会を開催して解散しました。

それでも最後の年は、県の生徒指導委員会委員長校という大役を受けて、最後の最後まで埼玉県の代表校として活動を全うしました。


8ページの内容で作成「PTAだより」、年2回発行を継続して最後までPTA広報委員会の保護者の皆さまの尽力により、最終号(第106号)は最後の卒業式の日に発行・配付することができました。

特に、ここ数年の皆野高校PTA活動は積極的で、令和4年度には文部科学大臣表彰、6年度・7年度も関東PTA大会や全国PTA大会で個人表彰や団体表彰を受けています(掲載済み)。

最後のPTA会長・横田様、後援会長・田島様には2期に渡りカンバックしての会長職に携わっていただきました。横田様には、ご子息卒業後も、PTA会則を見直し会則変更により、皆野高校ファイナル・クローズの令和7年度の会長として多くの関係者と力を合わせてPTA・後援会を締めくくっていただきました。感謝です。本当にありがとうございました。

(明日、このPTA・後援会の発足当時の活動について触れます)

令和8年度関東地区高等学校PTA連合会大会が開催

本日、第72回関東地区高等学校PTA連合会大会群馬大会が開催されます。
大会プログラム(PDF)へリンク。

昨年、7月11日(金)12日(土)には埼玉大会が大宮ソニックシティで開催されました。地元開催ということで、本校からもPTA・後援会の皆さまに役員としても協力いただきました。

昨年度の関東大会の様子

 今年度は、関係ないと思われるかもしれませんが、皆野高校関係者も今年度の大会次第にもありますように、10:00からの表彰を受けます。 詳細は後日紹介させていただきます。

熊鈴

今年は熊の出没が多くて怖いですね!
とはいっても、昔から熊は山奥には住んでいます。
以前も、秩父の山では熊の出没情報はありました。でも、近頃は本当に多いですね。

昨年度も、事実かどうかは確認できませんが皆野町大渕、皆野高校の裏手で熊の目撃情報、というヤフーニュースが流れたこともありました。見間違え!?と言っている方も多くいたようです。特に問題はありませんでした。

県教育委員会から必要に応じて、児童・生徒への対策として熊鈴を持たせる、などという連絡文書も来ていました。

皆野高校商品開発、販売実習。
色々な場所で色々な方と一緒に出店しました。そんな中、横瀬町「たいみつや」さんの隣で出店。お話しすると皆野高校ホッケー部の卒業生ということです。シングルコーヒー豆、マヌカハニーなど蜂蜜関連商品、皮小物やアクセサリー、ブコーさんステッカーなど様々な物を扱っているカワイイお店でした。生徒たちが販売に元気がない、とハッパをかけていただき、一緒に大きな声で販売PRもしていただきました。

そのお店に並んでいた、注目商品!
手作りの熊鈴、1つ1つ手作りで個数限定ということで個人的に購入させたいただきました。お散歩するときは熊鈴を!
皆野高校には素敵な先輩がたくさんいらっしゃいます!

【ミューズパークでブコーさん付の熊鈴を撮影してみました】

(つづき)実は、あの坂で!

令和6年度には、大雨の影響で、この坂の周りの樹木が倒れて電線に覆いかかるという事故がありました。


ご近所に迷惑かけることなく、業者対応により伐採などして解決させました。
すぐ近くには鳥居もありました。

大事にならなく、ホッとした案件でした。

思い出の場所3-2

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。昨日、校門前の県道・長生荘へ降りる坂道について書き込まさせていただきました。

しかし、移転当初の約15年ほどは、もう一つの坂がありました。
6月26日の後半にも書き込みましたが5期生の先輩が、当時の思い出写真を編集し懐かしい動画を文化祭で公開したなかにも含まれていた「もうひとつの坂」について掲載します。

いつから、この坂が閉鎖されたのか今のところ詳細は分かっていません。出入り口にはカギがかけられています。

この坂です!

 皆野中学校方面から栗谷瀬橋を渡り、国神郵便局・国神交差点を通り過ぎ、橋を渡った後は、道が狭くなり危険なので、左折して迂回する道が通学路になっていました。しかし、大渕へ移転当初の時代は、左折せず直進。今は八潮守屋建設株式会社がある裏の急坂を登って登校していました。登りきるとグラウンドに出ます。

この坂です(皆野高校の敷地です)令和7年度撮影。

この坂を登って、どう昇降口へ向かったかというと!

 昇降口へは、下記写真の赤線のようにグラウンドを横切って向かいました。下記写真は、弓道場のところに工事車両もあります。弓道場がこの場所に移転したのは昭和55年6月ですので、その頃の写真と思われます。


この赤線のように坂を登り、グラウンド横切って登校した時代もありました(写真は令和7年1月撮影)。
雨の日にグラウンドを横切るのは、水溜まりが多く大変だったということです!

この坂から栗谷瀬橋(昭和38年11月開通)方面を撮影した写真
(皆野高校開校前)

 【 写真提供・皆野駅前、大和屋カメラ様 】

(明日へ、つづく)

思い出の場所3-1

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】

皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)

この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。

この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】

昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。

(つづく)

思い出の場所2

これは・・・
昇降口の下(脇)に、こんな建物があったのを知っていますか!? 物入れなどの倉庫ではありません。

これは平成15年度前後に建てられた建物です。
生徒には馴染みのない、一定の先生方などの思い出の場所かと!

写真奥に校門がチョコっと見えています。
この建物も解体されました。

想い出の場所

昨日「思い出の校舎」として掲載させていただきました。
先輩方の思い出を語りつくすことは不可能ですが、後半の卒業生にとって思い出の一つであろう昼食のパン販売について掲載します。

皆野高校生の昼食は・・・
購買部があった時代、食堂が営業していた時代、パン屋さんがパン販売に来ていた時代、弁当屋さんが弁当販売に来ていた時代などなど。


それらの中での思い出のお昼!
令和7年4月25日最後の年の最初のイベント、10月27日最後の秋桜祭などで出店要望があり「あのパンを販売してほしい」。この要望に卒業生でもあるパン屋さん「橋本パン」が販売に来校していただきました。懐かしがって食べていた方も多く、パンは両日とも完売となりました。

【R7.4.25、イベント時のパン販売(体育館)】

想い出の場所が解体
その場所は体育館入り口横にありました。

ここです! パン販売場所には時間になると生徒たちが群がっていました。

残念ながら、この場所も県が建てた建物ではないので解体しなくてはなりませんでした。


地面のコンクリートの色の違いがパン屋さんの足跡です。

みなさん、それぞれの思い出の場所は!?

令和7年4月25日(日)・令和7年10月27日(土)・令和8年3月7日(土)
 この3日間、皆野高校ファイナル三大ビッグイベントとして、他校では実施できないような行事を開催しました。多くの先輩方、旧職員、近隣の地域の皆さんにご協力いただき、ご来校いただきました。

他にも、
夏休みと冬休みの公開講座(令和7年度・14講座、延べ258名が来校)
「てっぺんの向こうにあなたがいる」吉永小百合主演映画、全国一斉公開日(令和7年10月31日)を受けて皆野高校地域関係者への公開鑑賞(令和8年1月30日)この映画と皆野高校との関係について後日掲載予定!
フジテレビ番組「ミュージックジェネレーション」の関係者公開収録(収録日:令和8年2月8日、放送日:3月5日)
などでも多くの方に来校していただきました。さらに、卒業生が個人的に学校訪問・見学 等の申込も多数あり、個々対応させていただくこともありました。

 皆野高校の統合が令和4年の夏に発表されてから約3年半。この残された期間で、高校時代の「思い出探し」をしていただけた先輩も多くいらっしゃったのではないかと思います。それでも「知らなかった」という方もいらっしゃいます。完璧な周知ができなくて申し訳ありませんでしたが、特に皆野高校は多くのマスコミ、新聞やテレビ、ネットでも取り上げていただくことができました。さらに、教職員等の関係者が地域イベントなどで精力的に発信の活動を行ってきました。周知できなかった先輩方には申し訳なく思います。

 皆野高校の歴史は統合という形で、新たな秩父高校となって引き継がれていきます。皆高ルーム(仮称)もしっかり整備したいと思います(令和8年度末までには)。今後、ご期待ください。連絡手段としては、同窓会LINEの継続使用、同窓会が4月から再結成となった「みなこう会」が今後作成予定のHPとなります。

思い出の校舎

皆野高校60年。高校3年間通った校舎。年代によって思い出の場所は様々かと思います。校舎も大渕の校舎は3代目です。

最初の1年間は現在の皆野町役場前、道を挟んだ役場駐車場内に校舎のあった秩父農工高校定時制皆野分校(石碑があります)を使用。1期生が1年間、教室を間借り。定時制生徒が登校する午後4時頃には下校しなければならなく、生徒会や部活動も思うように活動できなかったとのことです。【下記が初代校舎】

2年目の昭和42年度から45年8月までは、現在の皆野町役場の場所にあった旧皆野中学校。中学校が統合のために移転となり、旧校舎を皆野高校の校舎として使用。1年目の間借り状態から、鉄筋3階建て講堂もありグラウンドも広い自前校舎となり1期生は大喜び。1期生と2期生は大渕の校舎を知らずに卒業されていきました。【下記が2代目校舎】

皆野高校開校5年目、昭和45年8月に幾多の困難を乗り越えて、大渕へ新校舎が新築されました。最初は1棟のみ(下記写真の手前の枠が体育館代わりに使用した集会室の建築前)。3・4・5期生が、教職員、保護者や地域の方々の協力により引っ越して、グラウンド整備なども大変な思いをされて完成した新校舎です。最初は西側部分は階段までしかありませんでした。周りは山と畑のみです。

先輩方の思い出を語りつくすことはもちろん不可能です。
それでも、5期生の先輩が当時の皆野高校思い出の場所や行事写真を編集していただきました。バックミュージックを流しながら説明文入りのパワーポイントを作成していただき懐かしい動画を繰り返し文化祭時に教室で流して公開しました。後輩たちは感動感心しながら視聴させていただきました。(下記写真 R6.11.2撮影)

(テレビ画面には「熊谷方面からの通学風景」との記載あり)R6.11.2

なお、60周年記念式典(R7.10.25)60年のあゆみ実行委員会で製作し公開した動画。まだご覧になっていない方がいましたら下記からご覧ください。
皆野高校誕生物語(YouTube 10分11秒)

後半以降の先輩方が口々にされていた思い出の場所!?・・・、明日掲載予定です。

皆野高校・平成元年度入学生からの新制服

皆野高校創立24年目となる平成元年度入学生より新たなブレザー型制服となり、男子は赤のネクタイ、女子は緑のリボン、制服ボタン・エンブレムも新しいデザインのものとなりました。

【上記写真について】
 関東図書株式会社発行「埼玉県公立高校紹介」2021年度版・全418ページ中の14ページより制服写真を抜粋。
 その後も、2022年度版、2023年度版(最後の生徒募集の年度)までこの写真が掲載された(モデルは平成時代の卒業生、長期間に渡り使用した)。

 この制服変更は当時先進的な取組であった。この時代、多くの高校で生徒の服装違反、服装の乱れが目立っており、生徒指導の柱として服装指導に取り組んでいた。服装違反の原因として、戦前と変わらない男子の詰襟服、女子セーラー服という旧態依然の制服そのものにも原因があると考えた。
 そこで、①生徒が誇りを持って着られる制服、 ②ビジネスを学ぶ高校としてワープロやコンピュータなど事務機器の操作しやすい活動的な制服、③中学生にとっても魅力的であり憧れを抱くような制服、をつくりたいという意見が盛り上がり、昭和62年度2学期に制服検討委員会を設置、公聴会や生徒アンケートを実施し、生徒会や職員会議で検討。その結果、平成元年度入学生より他校に先駆けてブレザー型制服を採用した。生徒・教職員・地域からも大好評で、他高校からも注目された。
 平成元年度、情報処理科の誕生と合わせて近代的な制服採用は、皆野高校が地域に根ざした特色ある高等学校として、希望に満ちた一歩を強く踏み出す原動力となった。この年の入試倍率は、推薦入学・一般入学ともに極めて高く、在籍生徒数も700名を超えている。

新制服に使われた新たなデザインによる「エンブレム」と「ボタン」


男子・女子ともに制服生地やベスト、セーターなどはマイナーチェンジをしてきている。男子のベルト、女子のハイソックスも皆高エンブレムデザイン入りの指定のものでした。

皆野高校の校章(その11)皆野町内の学校校章

昨日・一昨日と、そもそも皆野高校校章の由来について掲載しました。
皆野町の町章と深い関係があるようです。

では、皆野町の他の学校の校章はどうなのか?
幼稚園1、小学校3、中学校1の計5校が存在しますので調べてみました(情報は、全てネット検索によります)。校名から各学校のHPへもリンクします。

皆野幼稚園(開園昭和48年、創立53年)

国神小学校
 開設は明治6年、金崎学校(長興寺)と大巻学校(薬王寺)から始まり153年目。平成14年度に日野沢小学校と、平成25年度に金沢小学校と統合し現在の国神小学校となりました。令和9年3月で閉校、4月から皆野小学校へ統合。
皆野中学校
 昭和38年度、皆野統合中学校設置(国神、日野沢、金沢中学校を統合)。暫定措置として国神中学校を本校、日野沢中学校及び金沢中学校を分教場。昭和39年度皆野、三沢中学校を統合、暫定措置として本校、皆野分教場、三沢分教場。昭和42年3月皆野分教場移転(←移転後の42年4月より45年8月まで皆野高校の校舎として使用した)。42年4月実質統合完了に伴い、校名を皆野中学校と改称、校章を定める。平成20年10月新校舎完成。皆野中学校HP 沿革へリンク。
 

 現在も皆野中学校内、1階職員室前で利用中の棚です。

 日付が書かれているのですが薄くて確認できません。
 大きく「皆野統合中学校 三沢分教場」と書かれています。 

 地域では、この当時は皆野中学校を「統合中学」と呼んでいたとのことです。
 

 
と、上記3校は町章及び皆野高校校章と同様に、3つの「ナ」の円を使用して図案化されています。

しかし、皆野小学校と三沢小学校の2校には町章のような3つの「ナ」は使われていませんでした。
皆野小学校(開校明治6年、創立153年)

三沢小学校(開校明治7年、設立152年)

三沢小学校の校章は、見ようによっては「ナ」にも見えますが。

 どの学校も伝統ある学校です。この各校の校章、3つの「ナ」について、さらに調べられたらと思います。

皆野高校は、町内のこの5校、さらに私立の明星保育園・国神保育園と様々な形で多くの連携・交流により充実した教育活動に取り組み、生徒たちを大きく成長させることができました。ありがとうございました。

(校章・完)

皆野高校の校章(その10)そもそもデザインは2

昨日掲載した、皆野町ホームページから抜粋した町の町章。
制定が昭和48年9月1日と記されているという件です。

早速ですが、解決しました。

検索結果、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に「埼玉県の市町村章一覧」が掲載されていました(下記は一部抜粋画像です)。

 この情報によると、昭和48年9月1日というのは地方自治法に基づき町議会の議決により町章を決定・告示した日ということです。実際には昭和40年5月2日に制定され使用されていたとの記載です。
皆野町の町章は皆野高校開校1年前の制定。皆野高校開校と何か関係があったのでしょうか。引き続き皆野高校や他の学校の校章との関係を確認していければと思います。

皆野高校校旗
1期生の卒業式(昭和44年3月31日挙行)に向けて製作した校旗
(昭和43年度末完成)
令和8年4月8日、新・秩父高校開校式では壇上に掲げた。

(町内、幼小中学校の校章へ つづく)

皆野高校の校章(その9)そもそもデザインは!?

皆野高校、創立当初に定めて使用してきた学校を象徴するデザインの校章。この校章は、60年間、校旗、帽章、徽章、生徒手帳、身分証明書、学校発行の賞状、卒業証書など、様々な物・様々な時々に使用してきました。

そもそも、皆野高校の校章は、なぜこのデザインなのか!?
この皆野高校校章デザインについて、説明のある文章を見つけることはできていません。口伝として、一目瞭然ではありますが皆野町の町章をベースに定まられたと聞いています。【皆野町ホームページより → 町章】

上記は、皆野町ホームページから抜粋しました。皆野町の町章は、3つの「ナ」の円で「の」を囲み「みなの」を図案化し、円満な町の発展を表しているとホームページに記載されています。

ただし、ここで疑問が出てきます。
皆野町章の制定が、昭和48年9月1日と記されています。
皆野高校は昭和41年4月に開校し校章を定めています。いつ制定されたかという具体的な記述は見あたりませんが、創立2年目の昭和43年3月発行の生徒会誌には現在の校章が記載されています。

そうすると、町より皆野高校の制定が先ということになります。
今後、調べてみたい内容です。

昭和43年3月発行 秩父東高校 生徒会誌「凌雲」(上記)には、本校と分校の校舎、校章、校歌が並んで掲載されています。この生徒会誌編集委員長は、分校(皆野高校1期生)の田嶋光作先輩(3/7送辞を読んでいただいた)が、東高校本校の女子先輩方などから推薦されて務めた、ということです。

(つづく)

皆野高校の校章(その8)校舎外壁に掲げられた大校章

皆野高校の正門前で校舎を見上げれば目に入ってくる大校章。この大校章は創立30年目の平成7年に校舎に取り付けられ、校舎と一体になっています。

閉校舎となった現在も、正門の校名板は取り外されましたが、大校章は、東にそびえる美の山から昇る朝日を真正面に受けながら今も輝いています。卒業生からは、皆野高校ここにありの証と感じていただいています。

【設置当初の眩しい金色の校章】

【伝統を重ねた色となった校章】令和8年6月21日撮影


【令和7年度撮影】

設置されている校舎の大校章アップ画像です。直径93cm程です。

【令和8年6月19日撮影】

(つづく)