日誌

生徒会日誌

冷やして食べるデニッシュ

 皆野高校がパッケージデザインを担当。商品を秩父農工科学の食品化学科が開発。その商品が8月6日に発売。秩父のサンクス2店舗で300個ずつテントで販売しましたが、2店舗とも売り切れたそうです。
 今朝、サンクスに立ち寄って商品を買ってきた先生が「並べ終わった頃だったから30個ぐらい並んでいたよ」と言ってました。
 
 商品を手にしているのは副会長。本日は午前中に企業見学。学校へ戻り報告書を作成し、企業への礼状を書いて、4時からの販売にやってきました。
 会長は、翌日が企業見学。学校生活の中で自分のやるべきことをやり遂げるという先輩たちの伝統を受け継いだ立派な役員に成長した・・・・ああ、ちょっとほめすぎました・・・。
 
 

もうすぐ・・・

 4月。新しい年度の始まり。今日は、今までお世話になった先生がやってくる最後の日。午後学校に来たら、残っていた生徒会役員が、教頭先生に花を贈るとか何とか・・・。それではせっかくなので記念写真を撮りましょうと言うことでパシャリ。
 
 
桜を撮影していると、集まってきたので4人で記念撮影です。
 
 
 
みんなは、来年の今日はもう、学校には来ないんだね・・・3年ですね・・・。

東日本大震災義援金募金


 東日本大震災から2年が経過しました。被災地ではまだまだ復興がままならないと聞いています。皆野高校生徒会では震災直後から震災義援金の募金活動を行っています。今年度最後の募金活動を3/24に秩父ウニクスで行いました。募金された方からは「ご苦労様」「頑張ってね」と励ましの言葉を頂きました。週明けには今日の募金と今年度集まった募金を毎日新聞社を通じて被災地の皆様のお役に立てていただければと思っています。
 平成25年度も、引き続き募金活動を継続していきたいと思っていますので皆様の暖かいご支援をよろしくお願いいたします。

 

お引越し

 皆野町役場・・・・現在はきれいな建物になっています。その昔は、まるで小学校か中学校の校舎のような建物でした。それもそのはずです。中学校の建物ですから。皆野町の中学が統合して今の皆野中学になったとき、それまで使っていた校舎が、その後の役場になったのです。しかし、その建物は、役場が使う以前に、皆野高校が使用していたのです。
 秩父農工定時制皆野分校の校舎を間借りしてのスタート。そして、その後、統合し移転した皆野中学の校舎を譲り受けたと聞いています。(いつものことですが、間違っていたら訂正のメール、お手紙、お電話をお待ちしております)
 県立化のために、皆野高校は、早急に土地を探さなければならなくなりました。いくつか候補地があり、いろいろとあったようですが、ここでは特に語ることもないので、現在の土地にたどり着いた・・・ということで・・・・。
 そして、校舎が完成し、お引越しとあいなりました・・・・。お引越し、夏休みにやったって聞いています。
 なんとかかんとか引越しセンターとかそんなのがある時代ではないので、全校生徒、職員で引越しに対応したそうです。
 そして、引越し後も作業は続きました。皆野高校は山の上にある学校です。山の上に作ったわけですから、グランドには大きな石がたくさん落ちていました。一輪車を押して、汗だくになり、当時の職員、生徒はグランドを整備しました。
 2学期に入り、体育の授業も、グランド整備です。皆野高校はこうやって、当時の職員と生徒たちの手によって今の形が作り上げられた学校なのです。

むしろ

 県立高校への移管・・・。ってどういう意味だかわかりますか?
 
 1学期に書きっぱなしで終わっていましたが、皆野高校は「組合立秩父東高等学校皆野分校」として、商業科男子40名でスタートした学校です。なんでも第1期生には皆野中学からの入学生がいなかったとも聞いております。(20周年記念誌より、間違っていたらお知らせください)
 「卒業生には県立高校の卒業証書を」
 おそらくこれが、関係者の偽らざる気持ちだったのではないでしょうか。この辺のことは、皆野高等学校の20周年記念誌に詳しく書いてあります。
 
 秩父東高校を県立高校に・・・同時に皆野分校も県立にという動きが活発になっていった背景にあったものは、先に書いたような大人たちの生徒たちに対するまっすぐな気持ちであったと思います。しかし、そのハードルは、思った以上に高かったようです。紆余曲折あって、結局こんな感じで決まったようです。
 「まず、最初の卒業生を出す秩父東高校を県立高校にする。皆野分校は、次の年に最初の卒業生を出すので、それまでに県立高校にする。なお、皆野分校は秩父東高校の県立学校化にともない、独立する。また、早急に学校を建設する土地を探してほしい。(秩父農工定時制皆野分校の校舎を借りたり、中学校を統合したため使わなくなった皆野中学校の校舎を使用していたため)」
 
 なかなか動かなかった埼玉県が動いたのはなぜか?
 当時開催されていた埼玉国体。ここで「世の中に、自分たちの考えをうったえたい」と関係者から聞かされたからだという。
 
 当時、秩父東高校の校長室にいくつも運ばれたもの。それは「むしろ」だった。むしろに県立学校化を望んでいること書いて、国体を観戦にいらっしゃることになっていた天皇陛下に見せて、世の中にうったえる・・・・。これにあわてた県が下した決定であると聞いている。
 
 古くから皆野高校にかかわっている人が、皆野高校の歴史を語るとき必ず登場するエピソードである。
 
「むしろっぱたを、おったてて・・・。」
 
 この言葉を、さめた表情で聞いていた人もいた。でも不思議と自分はそんな気持ちにはなれなかった。
 地域に望まれてできた組合立の学校が、また、地域の人たちの熱意によって県立高校になっていく・・・。
 アメリカンドリームという言葉があるが、まさにそんな感じで皆野高校は県立高校へと変わっていったような気がする。
 埼玉県にいくつもある県立高校の中で、最も地域の人たちに大事にされた学校ではないかと思った。
 
 そして、県立高校へ・・・・と順風満帆ではなかったらしい・・・県立高校として生まれ変わり、現在の学校ができてからも、先生方そして在校生の苦労はまだ続いた。それはまた次のお話で・・・。

皆野高校とはその1

 埼玉県立皆野高等学校、いわずと知れた秩父唯一のビジネス専門高校。かつてこの「ビジネス専門高校」は、皆野高校の代名詞であった。ところが最近このビジネス専門高校という言葉を、やたらとあっちこっちで目にする。かつてこの学校に勤務されていた先生方が、移動先でこの言葉を、自分の勤務する学校の代名詞として使っているようだ。ある意味皆野高校が、その教育が全県に知れ渡っていくのだからそれはそれでいいのかもしれません。
 
 ところで、皆さんは皆野高校歴史をどれだけご存知ですか?特に在学生、卒業生の皆さんは、どうでしょうか?年に一度、文化祭では図書委員会が「みなこう検定」を実施しています。いまだ満点は出ておりません。昨年度の最高得点をたたき出したサトゥ~くんを追い越せる人は、今年出てくるのでしょうか?この検定、誰でも受検できますので文化祭のときにぜひとも挑戦してみてください。
 皆野高校が誕生したのは、昭和41年でした。ずいぶん遠い昔になってしまったように感じますが、秩父の学校の中では一番新しい学校なのです。かつては、現在皆野町役場があったところに校舎がありました。秩父農工定時制皆野分校の校舎を間借りしての授業だったと聞いております。現在役場があるところには、旧中学校の校舎があり、そこを使っての授業、また当時は秩父東高等学校の分校ということで男子40名でのスタートだったこと。地元皆野からは第1期生が入学してこなかったこと、農工の定時制の授業と重ならないようにと配慮し、1時間を80分で行い1日4時間という時間割だったことなど・・・。当時皆野高校で学ばれた先輩たちならば知っていることですが、在校生や若い世代の卒業生にはピンと来ないことでしょう。現在のところに移動してきて、最初の体育の授業は、グランド整備だったことを知っていますか?今在校生が使っているグランドは、先輩たちが暑い日差しの中一生懸命整地したんですよ。
 これから数回に分けて、皆野高校にまつわる様々なエピソードを紹介します。これは文責大野(昭和56年4月入学、優秀な成績を収めて?59年3月卒業)が、20周年記念誌と皆野高校の生き字引、弓道部顧問だった関根先生に取材を行い、まとめたものです。
 昭和56年の開校記念日の前日、全校集会がありました。その中で皆野高校はどんな風に誕生したのか、今までの歴史を振り返りながら全校生徒に先生が話をしてくれました。皆野高校という名前にプライドを持っていられるのはそのとき聞いた先輩たちのエピソードに胸を打たれた部分が大きいなと最近感じております。ですので、ここでそういったことをまとめておきたいと思いました。在校生のみなさんも、これから紹介するエピソードを読んで、皆野高校に誇りを持って生活をしてもらいたいと思います。
 皆野高校誕生は、昭和41年。組合立秩父東高等学校皆野分校として誕生しました。ここで組合立という言葉が登場しますが、組合立とは以下のとおりです(ウキより抜粋)
 
特別地方公共団体たる一部事務組合が設置する公立の高等学校。組合立高校、組合立高と略されることも。本項で詳細を述べる。

県の教育委員会(以下、「県教委」)が管轄する。

 

高等学校の設立を必要とする市町村が地方自治法に規定する一部事務組合である学校組合を結成することにより設立される。
 とウィキペディアにはこのように書かれています。そうです、秩父東高校と、皆野高校は、秩父地域に必要とされてできた学校なのです。埼玉県が、ここに高校つくるよ!!とできたほかの学校とは誕生の経緯がまったく違うのです。つまり、在学生の皆さん、皆さんはこの地域で唯一つ、地域に必要だといわれ誕生し、今でも存続している学校の生徒なんだということになります。
 さて、それではいつから県立高校になったのか?その経緯は?それを語るには、長く苦しいたくさんの人たちの努力があったのです。そのお話は、また次の機会に・・・。

 

 
 

 

お世話になりました!!!


 今日は卒業生3人にも来てもらって転出される先生、退職される先生にあいさつをしました。それぞれの先生にみんなさまざまな思い出があると思います。先生方、お世話になりました。
 
 
 
 
 
 そして、校長先生ともお別れです。場を清め・・・っていうあの言葉はもう聞けないのでしょうか?最後は、校長先生と記念写真。
 
 
 別れていくから次の出会いがあるんですね。今が楽しいから、次の出会いもすばらしいものであってほしいと願うんですね。
 転出される先生方、新しい学校でもでもがんばってください。退職される先生方、今までご苦労様でした、次の場所でのご活躍をお祈りしています。
 そして時々長い上り坂の向こうに見える皆野高校での出来事を思い出してくださるとうれしいです。
 
 さらに!!
 今度皆野高校にやってくる先生方!!皆野高校を大好きになってくださいね!!
 

おそうじ


 本日は、生徒会役員が学校の入り口にあるあずまやを清掃しました。業務の古川先生にもお手伝いいただきました。
 今日は風が冷たかったですね。明日も生徒会は活動を行います。

募金の報告


 おそくなりましたが、1月6日にまいにち新聞の方が取材に来て下さり集まったお金をお渡しする事が出来ました。
 
 
 上記URLで確認できます。
 
 というか、あの、自分たちで数えた金額より多くないですか?【数え間違いか・・・)
 
 募金にご協力いただきありがとうございました。3月は18日にまた計画しております。まだ場所の確保などできておりませんが、来年度も続けますよ!!!「みなこう絆プロジェクト」